まん延防止重点措置発令下の京都。街ゆく人の数に変化を感じないが、
昼食に入った回転寿司店は大変な事になっていた。明らかにスタッフ
の数が足りていない。入退店の客がレジ付近で大渋滞を起こしていた。
ハムが指定された席は既に別の客が座っていたし、隣の客には冷たい
ウドンが回って来た。病院でも同じような事が起きてないか怖くなる。
今日の宿は烏丸丸太町。免疫力を付ける為にも荷物を預け散歩しよう。
御所の南裾に沿って東へ進んで丸太町橋。大文字山が正面に見えるが、
近づくにつれて山頂が判然としなくなる。途中の小さなパン屋さんに
行列が出来ていたが、覗いてみるとお高いが京都では普通の値段かも。
更に丸太町通りを進むと、交通標識に鹿ヶ谷(ししがたに)の文字が
あった。大文字山の登山口があるはずだ。このまま登ってしまおうか。
正面に見える黄土色の建物は、岡崎つる家という高級料亭だが休業中。
その後も美術館とか資料館。住友財閥の邸宅と敷地の広い建物が続く。
そして突き当りの寺には南禅寺禅センターという看板が掛かっていた。
その塀沿いに回り込むと山際が近くなった。石段を上がれば哲学の道。
冬季の停水期間中だが疎水にはそこそこ水量があり、鴨の家族がいた。
親子の三羽と思ったけど、メスを二羽のオスが追いかけているのかな。
疎水沿いにしばらく北へ歩き、寺ノ前橋から住宅街を東へ入って行く。
この付近は趣のある家が多い。やがて正面には由緒正しそうな霊鑑寺
が現れる。その脇を進んで行くと右手にはノートルダム女学院の校舎。
敷地には和中庵という洋館が見えたりして、歩いていて退屈はしない。
これを豊かな文化遺産か、歴史的搾取の証拠と思うかはその人次第だ。
鹿ヶ谷の車道を詰めて行く。思ったよりも奥まで住宅や寺院が続いた。
ふと振り返ると遠くに愛宕山が見えている。手前の森は吉田山だろう。
波切不動明王を祀った寺院で舗装路は終わる。赤い幟が沢山並べられ
摩耶山の青谷と似た雰囲気がある。谷沿いをそのまま詰めれば良いか
と思いきや何やら作業場があり進入禁止。少し戻り道標を良く見直す。
京都一周トレイルの道が斜面を巻上がって行く。風倒木が通行できる
ように処理はされているが、ずり落ちて来ないかちょっと不安になる。
右手の谷斜面はかなり険しい。土砂崩れの箇所には桟道が施してある。
さっき見た道標には旧如意古道と記されていた。帰ってから調べると
三井寺に抜ける道として昔から歩かれていたそうだ。ただ此処までは
古道の趣きはあまり感じられない。登れにつれて川床が近づいて来た。
意外にも険しい谷であった。遡行価値は無いと見ていたが、ゴーロが
累々と積み上がる様子に驚かされる。どうも上部には滝があるようで
黒い岩壁が見えている。道は谷から離れず九十九に標高を稼いで行く。
楼門の滝という名前らしい。下から見るより斜度は緩く階段状なので、
夏に直登しても楽しそうだ、上段下段併せて10m以上はありそうだ。
下流のゴーロ帯から取りつけば長くなる。ただ人の目は避けられない。
周囲は寺院跡らしくて石垣で作られた平地が点在する。下生えの無い
落葉樹の疎林となっている。紅葉の時期に来ればさぞかし綺麗だろう。
古色蒼然とした石段を上がれば滝の上に出る。そこからは平流である。
右岸に俊寛僧都忠誠之碑と記された立派な石碑がある。由来を述べた
副碑も別にある。だが読めずに帰ってから調べる。忠誠とあるからは
立派な人物かと思いきや、平氏打倒の陰謀に加わり島流しされた高僧。
高さは2m以上あり、現地調達したにしても大層費用が掛かったろう。
更に調べると俊寛に心酔した祇園の料理屋の主人が、夢に見たこの地
を俊寛の山荘跡地と信じ、昭和10年に土地を買い石碑を立てたとか。
という訳で碑自体に歴史的価値はなさそう。谷は源流の様相を呈して
来るが意外に長く続いた。多くは杉の植林帯であるがナラが枯れた跡
に落葉樹を植栽してあったり、季節を変えて歩けば楽しみもありそう。
浅い谷を詰めて行く。途中前を歩いていた人が分岐を左に入って行く。
そちらに行けば山頂に直上したようだ。ただ道としては此方が本道と
思いそのまま進む。杉林の先が明るくなって、すぐに頂上稜線に出る。
道標に何の記載はないが、此処が一般に四つ辻と呼ばれる所であろう。
日向大神宮から上って来た京都一周トレイルは何故だか大文字山頂に
向かわず、此処から鹿ヶ谷へ下ってしまう。火床を避ける為だろうか。
先月も見た朽ちかけた木。家族が蹴りを入れているがビクともしない。
当分はハイカーに危険が及ぶことはないだろう。でも何で蹴るのかな。
後ろから見ていると、その振動で折れた上半分が落ちて来る気がする。
13時56分、大文字山頂上に到着。四つ辻分岐から僅か4分である。
眼下には先週歩いた、清水山から稲荷山へと続く山並みが見下ろせる。
一番南端には大岩山と言うピークがあるという。その内歩いてみたい。
頂上の一角に火床を示す私製道標が新しく吊るされていた。公設道標
は無いし観光がてらのハイカーも多い。初めて来ると火床に着けるか
確信が持てない所なので有用だと思う。此処から火床へは距離がある。
山頂から15分で火床に着く。市街から見上げると山頂直下にあると
思ってしまうので実際に歩くと遠く感じる。改めて地図を見てみると
登山口まで半分以上の道のりを下っている。他所の火床は頂上に近い。
京都って広い。というか神戸が狭すぎるんだろう。JR西日本の三都
物語なんていうキャンペーンがあったが、当時に比べて神戸の地位は
下がった様な気がする。就職した頃は垢抜けた感じもしたが今は無い。
大の字の要まで降りて来た。ハイカーの姿はあるが風が強いので長居
する人はいない。我々もペットボトルのお茶を一口飲んで下りに掛る。
何となく慣れた第二画の階段に入ったが、第三画を下りれば良かった。
方向的には第三画の方向へ進むつもり。家族は階段の下から見上げて
大の字に見えないとか言っているが、市街から見て大と読めればよい
のだ。でも本当の送り火は一度も見てもない。まあ一生見ないだろう。
火床の下は不思議なほど平坦である。南側へ向かう道を辿れば鹿ヶ谷
に下りつくはずだ。第三画への道を左に分けて、さらに進んで行くと
浅い谷に入って行く。やがて谷は急峻になるがすぐ前に人家が見える。
家並に沿って下って行くと、2時間前に通過した駐車場に下り着いた。
散歩のつもりで歩き始めたミニハイクだが、意外に鹿ヶ谷は楽しめた。
京都一周トレイルの歩いていない部分も埋められた。まずまずの午後。
翌日に行った馴染みの食堂でも、いつも二人いるホール係が一人だけ。
11時半の開店時に入るが、家族が頼んだパスタが来たのは40分後。
近所には休業している店もある。これもオミクロン株の影響なのかな。