今年の四月。生駒山系主稜線にある「ぼくらの広場」という展望地に
立ち寄った。ほぼ山頂と言ってよい場所なのに山名がないのも不思議。
改めてガイド本を見てみると、少し東側に大原山というピークがある。
何となく確かめたくなり奈良へ行くついでに歩いてみる。6時過ぎに
阪神電車に乗って7時43分に近鉄石切駅に着く。急行停車駅なのに
まだ閑散としている。西へ下って行けば有名な石切商店街に至るとか。
興味はあるが一度も行った事がない。広い車道を北東に向けて歩くと
大阪平野の眺望が広がる。此の辺り既に標高は100mを超えている。
くさかハイキングコースを示す古い道標に従って東側へ方向を転じる。
閉鎖された旧生駒トンネルを右に見つつ住宅街を歩いて来た。左手に
登山口らしき場所がある。だがどうも荒れた雰囲気。廃道でないかと
疑ってしまう。でもコースを示す札はあるし、とにかく進んでみよう。
このコースを知ったのは近鉄が配布しているイラストマップなのだが、
落葉が深く積もっていて歩く人は少なそう。あんな住宅密集地の近く
なのに散歩に来る人も少ないのかと思いつつ九十九な道を歩いて行く。
やっとハイキングコースらしい道標が現れる。此処からがくさか園地。
登山道もそれなりに整備されている。道標は行く先をいくつも示して
いるが、園地の名称なのでさっぱり分からない。高みを目指すのみだ。
イラストマップに石切り場とされている岩場に到着。写真では朝日が
当り見にくいが確かに切り取ったような岩場。何らかの石積みも残る。
此処が地名のお由来ではなかろうが、他にも石切り場が多いのだろう。
ようやく生駒山地の稜線に出て来た。なんでもない景色だけどホッと
した一瞬。季節的に植生に魅力を感じれなかったが、やっと穏やかな
気持ちになれた。此処からは緩やかな道が続くはず。ゆっくり行こう。
広く間伐され下生えもスッキリ刈られた所に来た。コブシの谷という
名前が付いている。よく見ると木々に花芽が付いているよう。3月に
来たならコブシやウメがキレイなのだろう。この上で車道に飛び出る。
信貴生駒スカイラインの一段下に平行する車道。旧道なのか管理用の
道なのか分らぬがベンチやトイレが幾つも設置してある。此処に来て
やっとハイカーの姿を見るようになった。何と言っても今日は日曜日。
石切駅の南側から上がって来る辻子谷コースと合流する。4年半前に
歩いているので見覚えがある。先の車道が九十九に横切るが、真直ぐ
進めば山上遊園地の駐車場前に出る。ところが遊園地は冬季休業中だ。
そのせいか駐車場の雰囲気が閉鎖的。入って良いのかと考えていたら
通りかかったハイカーさんに「全然、大丈夫ですよ。」と教えて頂く。
フェンスが閉まっているのは車用だけで、歩行者用は開放してあった。
遊園地西側にある展望所から。右寄りに梅田のビル群。そして六甲山。
摩耶山は連嶺のわずかな盛り上がりにしか見えない。夜景はさぞかし
キレイだろう。冬季休園を知る前は遊具に乗ってみたいと思っていた。
それが此の飛行塔。1929年の開業当初からあるアトラクションだ。
生きていれば90才の家族の母親が、幼稚園の遠足の写真をこの前で
撮っている。季節の良い頃に、我々も一度くらい乗ってみたいと思う。
一応は三角点を見に行く。SL列車の線路の中にあるので近づけない。
猫が居て一旦は近づいてくるが、餌をくれないと知るとそっぽを向く。
ハイカーが必ず立ち寄るので、効率の良いおねだり場所と知っている。
日曜日だけあって遊園地の中を行き来する人が多い。その人の流れに
乗って南側へと進むと生駒山名物の鉄塔群が現れた。麓からは何度も
見上げているが存外にカラフルである。在阪テレビ局の電波塔が多い。
更に南に進むと車道が途切れ山道に入る。だが直ぐに信貴生駒スカイ
ラインの急カーブに飛び出る。慎重に道路を横断すれば生駒パノラマ
展望台と名付けられた所である。此処は大阪と奈良の両方が見渡せる。
茫洋とした景色だったが、東側に低く横たわる矢田丘陵の姿が印象的。
時間的なものか此の辺りからトレイルランナーが多くなる。十数人の
団体さんや一人で走る人も。恐らく信貴生駒全山縦走されるのだろう。
10時45分に暗峠に到着した。右の古い農舎はカフェになっていて、
我々を追い越して行ったトレイルランナーのグループで賑わっている。
峠を過ぎて南側の登り返しはずっと舗装車道。大勢の学生が走り下る。
車道が尽きてすぐに頂上らしき所。地図によれば此処が大原山の頂上。
522標高点なので三角点の標石はないし、山名碑も立ってはいない。
良く見れば立木に私製山名板がチラホラ。それを探すハイカーの姿も。
展望を求めて「ぼくらの広場」へ移る。整備されているのは大阪府側。
だが大原山標高点は僅かな差で奈良県側にある。なので大阪府はその
山名を園地に冠したくなかったのか。とか穿った考えを持ってしまう。
韓国なら標高点等かまわず、行政区域内にそれぞれ山名碑を作ったり
する。大原山が無名であることも原因だろうけど、奈良県は山名板を
立てても良かろう。広い尾根道をダラダラ下って行き鳴川峠に着いた。
鳴川峠からは千光寺という古寺を経て近鉄の元山上駅に下る。路傍の
私製案内図によるとハイキングコースされている谷沿いの道とは別に、
表行場道と云うコースがあるらしい。面白そうなのでそちらを選んだ。
分岐からは斜面をトラバースする道が存外長く続いた。選択を後悔し
始めた頃に古い石柱が現れた。右行場と彫られているので入って行く。
地形的には谷に突き出した支尾根を下る。だが行場的な感じはしない。
どうやら此処みたい。小さなプラトーの先が巨岩を積み上げたような
断崖になっている。西の覗きという行場名らしい。これは期待外れだ。
此処へ来るのに遠回りしてるのにがっかり。さっさと下ってしまおう。
どんどん下って行くとコンクリ柱に、タイルを埋め込んだ道標がある。
この左右は下から見上げたもの。下りの場合は逆となる。なので右に
入れば鳴川沿いの道に出たはず。でも千光寺への近道を選びたくなる。
下るにつれて千光寺への道は怪しくなる。最後には木の根にすがって
こんな斜面を下って来た。道を外したのかもしれないが大きな倒木が
あり通行する人が少なくなったよう。どうにか千光寺の裏に下り着く。
下り着いた立派な行者堂の前に、大きな鉄錫杖と重い鉄下駄が置いて
ある。男子は鉄錫杖を3回持ち上げ、女子は鉄下駄を履いて三歩歩む。
さすれば良縁来たるとか。一心に役行者のご加護を願えば出来るかも。
千光寺の元山上という山号を不思議に思っていたのだが、この看板の
縁起を読んで氷解する。役小角(えんのおづぬ)が大峰の山上ヶ岳へ
行く前に此処で修行していたから元山上だって。なるほど納得できる。
先程の行場ではさして修行にもならなかったろう。千光寺は由緒ある
お寺であったが、それを上回って印象に残ったのが門前の鳴川集落だ。
とても大きく立派な御屋敷が密集している。お寺の役宅だったろうか。
下って来た近鉄の駅名も納得。寺の名より山号が有名と云うと成田山
もそうか。改札を入り線路が単線である事に吃驚。新幹線を通したら
在来線を第三セクター化するJRより、何だか親しみが持てる近鉄だ。