阪神尼崎駅から奈良行快速急行乗車し、近鉄上本町駅で伊勢中川行に
乗換えて8時28分榛原駅に到着。駅前から35分発天満台東3丁目
行き奈良交通バスに乗車する。前回から10日と空けずの榛原通いだ。

終点まで行くつもりが、天満台東2丁目バス停の次に4丁目の案内が
流れて急遽降車する。もう此処で良かろうと判断し料金も260円と
3丁目より60円安かったから。でも慌ててバスの写真も撮らず終い。

数十年前に造成されたであろう新興住宅街から北向きに上って行けば、
江戸時代からさして変わらぬであろう農村風景に入る。傾斜地ながら
南向きで地味も良さそう。ただ減反政策で休耕田が目立つのが残念だ。

額井岳山麓を走る東海自然歩道に出た後は、東に向かって歩いて行く。
舗装された車道だが景色も良く気持ちよい所だ。高城山と三郎ヶ岳が
大きく見える。その左奥は曽爾高原の山々だろうが同定には至らない。

バス停から30分程で、暗い植林帯からパッと景色の広がる所に出る。
正面に聳えるのが戒場山であろう。3丁目のバス停から山道を辿って
此処まで来ることもできるが、歩いて来たコースも決して悪くはない。

さて此処には山辺赤人の墓とされる五輪塔がある。奈良時代の歌人で
あり、田児の浦から始まる富士山を詠んだ和歌が有名である。家族は
新古今和歌集を覚えていたが、此処には万葉集の歌詞が記されていた。

しかし何故に墓がポツンと山中にあるのかの説明がなくてもどかしい。
さらに歩いて行くとバイクのヘルメットを被った案山子が立っていた。
存外ハイテクで暗闇で動物を感知するとメット内のライトが光るよう。

やがて戒場集落に着いた。立派な石碑が地産の豊かさを物語っている。
戒場とは僧に戒律を授ける式場の意味があるそう。この上の戒長寺が
藤原時代に戒律道場として栄えたらしく此の地名となったに違いない。

戒長寺へは車道も通じているが、趣のある石段があったので此方から。
長年通行で丸くなり苔むした石だが、それでも重厚さを失っていない。
上り詰めた先には鐘楼門があり、さして大きくない無住の本堂がある。

戒長寺の名物は楼門脇のオハツキイチョウ。葉の上に実を結ぶという
とても珍しい種なんだそう。気根を沢山垂らした様子も樹齢の長さを
表わしている。落葉すると一面黄色に染まり見に来る人も多いようだ。

観光協会が作ったイチョウの葉を踏み荒らすなと注意書き看板がある。
静かな境内を後にしてゴロタ石の多い登山道に入る。戒長寺の標高が
既に590mもあるので頂上まで150m程。ただし急峻で息が上る。

そのまま稜線に突き上がるかと思われた道だが、急斜面を巻くように
上って行く。後で地形図を見ると岩場を迂回していたようだ。やっと
辿り着いた主稜線は意外に穏やか。ただし針葉樹の植林帯で味気ない。

山頂も人工林に覆われ、只三等三角点があるだけ。テルモスのお茶を
飲んで小休止するのみ。昭和53年版近畿の山(中西政一郎編)には
イバラとスズタケの藪に覆われ、額井岳への縦走は無理とされている。

その後の植林事業によって縦走路が出来たという事になる。人工林は
嫌いだがそうなると文句ばかりも言っていられない。冬枯れの樹林を
透かして額井岳の頂きが見える。もし眺望が有れば爽快な景色のはず。

額井岳との鞍部に降り立って登り返すと、その僅かな区間に自然林が
残っていた。照葉樹の多い雑木林だが植林帯の暗さに比すれば明るい。
しばし陽光を楽しんでいたが、長く続くはずもなく再び植林帯に入る。

額井岳は大和富士と呼ばれ道標や案内にも記されている。○○富士や
○○アルプスって安っぽく感じるが、この山は1848年の出版物に
大和富士と記されているから筋金入り。只山容はそんなに似ていない。

樹林帯の先が明るくなり反射板が現れる。その為に定期的に伐採され
ているよう。南東方向に眺望がある。右端に尖っているのが三重県の
尼ヶ岳かと思うが定かではない。此の反射板は室生ダムの施設とある。

この額井岳は左右に支峰を擁した姿から、漢字の山に字に似ていると
云われる。まずは第三画のピークに到着したようだ。サガヒラ山なる
私製山名板がある。第二画は大保山と云いどちらも標高750m前後。

但し山名に関しては出典が明らかでない。鞍部らしきは感じないまま
第1画の急登が始った。木の根が露出し階段いやハシゴみたいである。
此の辺りから林界を示す為か黄緑色のテープが立木に巻き付けてある。

息せき切って到着した額井岳頂上には、小さな龍王祠が祀られていた。
昭和11年版近畿の山と谷(住友山岳会著)の記述と変わっていない。
旱魃の折には雨乞いしたそうだ。祠の背後に四等三角点が隠れている。

現在、四囲は樹木に囲まれて眺望は得られないが、南側に旧榛原町が
作った同定板があるので展望があったに違いない。昭和53年版近畿
の山では、一部を除いて伐採され吉野を巡る山々が一望のもととある。

お茶一口の小休止し下りに掛かる。すると登って来られる方に出会う。
今日は平日だが擦れ違うのは4組目である。眺望が無いにも関わらず
榛原辺りでは人気の山と云える。理由を考えてみたが思い当たらない。

植林帯を下りに下って、30分足らずで十八神社に到着した。ここも
標高500mを超えている。開放的な神社で南側が大きく開けている。
山並み展望図という看板があり、大台・大峰の山々も見えるとのこと。

結局の所、今回の山行で風景を楽しめたのは各登山口を結ぶ農道辺り。
山頂より麓の方が景色が良いという、ちょっと変わった結果となった。
このまま南側に下れば天満台東2丁目バス停だが、あえて東へ向かう。

神社下の農道を東側に向けて下り、幹線道路に出ると天満川に架かる
玉立橋を渡る。そこで振り返って見た額井岳。山が三つ連なる様子が
象形文字に似ている。この後はやはり警察署前の食堂で昼食にしよう。

田児の浦ゆ うちいでてみれば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける
山蔭(薩埵峠)を過ぎた時にパッと眼前に現れた富士を表現した歌と
解釈されている。赤人の墓前から戒場山を望むローケーションと同じ。
(田児の浦ゆ ゆは経由の意)(不尽の表記は現地案内板の通り)
田児の浦に うち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
これは万葉仮名の訓読或いは口伝えにより変化したと推察されている。
その為意味が変り、船で海に乗り出て富士を見たという解釈もできる。
今日のBGM