摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

京都で早朝散歩・・・今熊野観音寺の巻

この日も日の出前に目が覚める。家族は起きそうにもないので一人で。

京都にしては古いホテルで昔ながらの鍵が1本で、一人が外出すると

もう一人は身動きが出来ない。そろそろ改修すべきだと思うんだが?。

それはともかく、まだ暗い6時35分。外に出ると小雪が舞っていた。

静かな京都駅前。いつもは路地を歩く方が好みだが、流石に暗いので

鴨川の塩小路橋を渡るまでは大通りを歩き、後は適当に裏道を繋なぐ。

東大路通に出て今熊野橋で東海道本線を越えると商店街のアーケード。

6時59分、泉涌寺の道標を行き当り東側へ方向転換。参詣道として

賑わったろう道だが現在は普通の住宅街。通勤の人が下って来るのみ。

緩い坂道を300mも歩くと泉涌寺の総門が現れた。道路はその中を

通っている。普通に車も通っているので入っても良いのだろうと進む。

門をくぐると左右に塔頭寺院。やがて右側には東山泉小中学校の校舎。

7時8分、今熊野観音寺分岐までやって来た。石燈篭の陰にひっそり

京都一周トレイルの道標がある。もちろん寺領地だろうがこれは酷い。

普通に歩いているとほぼ気づけない。寺院との交渉の苦労が偲ばれる。

とはいえ今熊野観音寺は観光客に鷹揚な寺院である。紅葉の盛りにも

拝観料は取らないし休憩室や舞台等も備えている。既に7時過ぎだが

人気がない。住宅地が近いのでもっと散歩する人が多いと思っていた。

境内に入ると子護大師が参拝客を迎えてくれる。木々が葉を落とした

冬は苔が美しい。本堂の前には枕カバーの広告。今熊野観音が枕元に

立つと云う霊験記から当寺一押し授与品だそう。大人用子供用がある。

子供用は知恵授け・学業成就などの祈祷がされていて御利益ありそう。

大人用は頭痛封じ・ぼけ封じと何だか後ろ向きな内容で、どうせなら

前者を頂きたいと思うがどうだろう。とりあえず観音像に手を合わす。

鐘楼横から西国三十三か所を模した祠が並ぶ山道に入る。最上段には

鮮やかな色彩の多宝塔。医学界の偉人を祀ってあるそう。昭和59年

落成とごく新しい建物。7時20分、今日の散歩は此処で折り返そう。

一段下に広場があるが眺望は狭い。わずかに市街と西山が見える程度。

本堂から鐘の音が聞こえて来る。ホームページには毎朝、枕カバーを

祈祷すると記されているのでそれかな。と思いつつ泉涌寺道まで戻る。

7時半、泉涌寺(せんにゅうじ)。開門は9時で拝観料500円要す。

天皇家の墓が幾つもあり、観光気分で入域する寺でない。明治時代の

廃仏毀釈の上知(地)令にも、宮内庁からの下賜金でしのいだと云う。

泉涌寺から宮内庁の管理する墓所の間を通り、住宅街まで降りて来た。

あとはダラダラ坂道を下って行く。途中に民家が一軒売りに出ている。

東京の人とか別荘として買いそうだが、一年ぐらい売れていないまま。

やはり京都は相場より異様に高いのだろう。空家があれば一棟貸しの

宿になる事が多い。さて下って行くと東福寺塔頭が並ぶ通りに出た。

ついでなので臥雲橋に寄って行く。7時48分通天橋の上に日が昇る。

臥雲橋には何度も来ているが、すぐ隣に小学校があったと全く知らず。

少なからず驚いた。だが周囲で児童の姿を見た事ない。校舎は現存し

ているが、調べると2014年に廃校になった市立月輪小学校だった。

その後は九条通まで南下して、東福寺駅の踏切を渡る。7時59分と

通勤ラッシュ。JRと京阪の電車が走るのだから遮断機が下りている

時間は長いが、開かずの踏切という程ではない。この時は3編成通過。

8時3分、九条跨線橋から京都タワーを望む。西側は晴れ雪化粧した

西山が見えているが、北側は雪雲に覆われ山は見えない。崇仁地区の

裏道を通り武田街道の高倉跨線橋を渡る。最近お気に入りの橋の一つ。

8時21分、京都駅まで戻る。この時に気まぐれな小雪が舞っていた。

駅前にいる外国人観光客がスマホを手に雪を撮影しようとされている。

でもちょっと細かすぎたかな。宿に戻り風呂に入って体を温めなおす。

 

今日のBGM 


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80年代によく聞いていた曲、山頂で朝を迎えると此の曲を想起した。

デイブより貴公子リー・リトナーも禿げるのかと、妙に納得したMV。