摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

箕ノ裏ヶ岳(432m)から寒谷峠へ・・・京都市左京区

京都市内から市バス一律料金内で行ける山として、箕ノ裏ヶ岳という

ピークがある。ただ頂上からの展望も無くて特段の魅力はなさそうだ。

しかし例年四月上旬だけ光彩を放つと云う。それを知り約二年待った。

四条河原町の京都バス乗り場から8時3分の岩倉村松行き。向うのは

北方なのに南向きにやって来る。韓国で市内バスを待つドキドキ感を

ちょっと思い出した。発車すれば京阪四条駅前で北側に方向を転じる。

40分かけて終点の岩倉村松に到着。運賃は市バスと同じく230円。

行政の補助があっての事だろう。昭和の新興住宅街から農道を通って

岩倉川右岸に渡る。上流に向かうと溜め池越しに箕ノ裏ヶ岳が見える。

右側に老人ホームと寺院を見て、佛教大学の立派な運動場を過ぎると

舗装路は尽きて林道となる。住宅街から僅かな距離で山深い雰囲気だ。

山を越えれば静原なのだが、この道は行き止まりで通じていないよう。

岩倉川が東へ屈曲する所で林道も三叉となる。此処に小さな私製道標。

これに従って右側の道に入る。もっとも左側の道には門扉があるので

人の進入も拒まれているようだ。しばらく岩倉川の源流に沿って歩く。

やがて林道が谷から離れると、コバノミツバツツジを見るようになる。

さて四月上旬を待って此の山へ来たのはヒカゲツツジが花を咲かせる

というから。しかし摩耶山の場合は両ツツジは若干シーズンがずれる。

林道を歩いて行くと最初の分岐は立入禁止の柵があった。更に進んで

南側に岩倉の住宅街を望むようになって、登山路の取り付きが現れた。

此処にも古い私製道標がある。林道から離れザレた山道に入って行く。

最初の内は明るい雑木林だ。立派な林道があるのに植林されないのは

土壌が向いていないのだろうか。岩場はないが足元は尖った砕石状の

小石が多い。少し抜けた所で振返ると比叡山が端麗な姿を見せていた。

上るにつれ針葉樹が多くなる。岩倉村松バス停の標高は既に137m。

林道から山道に入る所で293mある。登山路は緩やかに続いていく。

また途中では岩倉村松から直接上って来ると思われる尾根道と出合う。

あっさり箕ノ裏ヶ岳の頂上に到着。やはり樹林に囲まれて展望は無い。

周囲の林を見回すが、期待していたヒカゲツツジの株は見当たらない。

考えてみれば此の山の何処という詳細を調べていない。安易に過ぎる。

摩耶山の場合ヒカゲツツジの咲く寒谷北尾根は、かなり特殊な場所で

一般道を歩いていて見れる花ではない。食料は持って来ていないので

水分補給だけして東へ主稜線を下る。今朝咲いたであろう可憐な花弁。

地理院地図には今日歩く箕ノ裏ヶ岳から瓢箪崩山手前の寒谷峠までの

尾根筋に破線路は続いていない。どうも昔からある持山ごとの杣道を

つないで縦走路になっているよう。その為に少々迷いやすい所がある。

此処では稜線上の倒木帯を迂回する様に、一旦南側へ下って急斜面を

トラバースして行く。ハイカーが便宜的に歩いている道は土が柔らか。

比べて杣道は土が固い。こうした箇所が入り混じって少々不安になる。

斜面の先の鞍部は小広い平地で新緑が美しい。写真は振り返ったもの。

特に北側斜面は下生えのない落葉樹の林。鈴鹿で見る炭焼き二次林を

思い出させる。大昔は小屋があったのか、此処から道が急に広くなる。

摩耶山のように密生はしていないが、コバノミツバツツジの株は続く。

この山には白いミツバツツジがあるという。ネットで3月末に撮った

という写真が掲載されていた。これは先週末の雨で散ったかも知れず。

右側に大きな植林帯が現れる。若木を保護する為に鹿除けのネットが

続くが、既に役目を終えたか何か所か崩れている。何年前になされた

植林だろうか。木の太さからすると、そんなに古い話ではなさそうだ。

とか思っていると植林小屋の残骸に出会った。冷蔵庫や掃除機までが

打ち捨てられている。飲料の缶のブランドからすると20年前位かな。

里から十分通勤可能な近さなのに、小屋掛けするとはある意味珍しい。

よほど大きな事業だったのかな。ゴミと化しているが山主が良ければ

それで良いんだろう。小屋跡を過ぎると暗い針葉樹を背景に鮮やかな

色合いの一株。この日に見たツツジの中では恐らく一番華やかだった。

急激に下って行くと東屋が現れた。此処が坂原峠であり一帯は墓地と

なっている。北側の静原から車道が通じている。事前に知らなかった

ので少々驚いた。江文峠を指す道標に従い適当に墓地の最高所へ上る。

すると背後に箕ノ裏ヶ岳が優美な姿を見せていた。岩倉村松から見る

傾いだ台形とはずいぶん異なっている。それにしても山の名の由来は

なんだろうと調べるが言及する記事はない。でも意外に簡単に分った。

坂原峠の標高は250m程である。墓地の上端からは急傾斜が続いた。

改めて地形図を見ると、此の先に410mと471mの標高点がある。

此処までも何度か岩倉側への分岐があって下山の誘惑にかられている。

此の先は寒谷峠まで変化もありそうにない。ところで消防団の立てた

新しい道標は「峠」が優先されている。地域の重要度から言えば当然。

だがハイカーは山を目指す。古い道標に瓢箪崩山とある方が分り易い。

尾根沿いに進むが、足元の土が柔らかすぎるので戻って来た。どうも

静原に下る尾根道に入り込んでいた。道標に「火の後始末に注意」と

あるのが時代を感じさせる。此処は三叉路だがこの古い道標しかない。

東側へ下ると難解な道標が設置してある。矢印が二つって難しすぎる。

つまり二つの矢印の屈曲点が先程の三叉路。そこに道標が建てれない

事情があったのかと邪推してしまった。この先は岩がちな尾根となる。

岩の一つに座り込んで水分補給する。そして何気なく北斜面を覗いて

驚愕する。その一面が黄色い花を咲かせたヒカゲツツジの群落だった。

その向こうに見える険しいピークはゲレンデのある金毘羅山であろう。

摩耶山のそれよりは小ぶりな花弁と思われたが、それは場所によって。

もう少し東側には十分に大きなのもある。もっとも株数では摩耶山

比ではない。尾根道に沿って幅は数十mあり。北斜面深く続いている。

正に群落と呼んで良い株数である。先週末の雨で萎びたり落ちている

花弁もあるが適当な時期に来たようだ。それにしてもヒカゲツツジ

岩場とセットだ。尾根道に露出した岩場が終わると一株も無くなった。

すっかり諦めてまた来年と思っていただけに、突然の出現に興奮した。

一般道沿いにこんな群落があると思ってもみなかった。しばし楽しみ

寒谷峠へ向けて下って行く。南側斜面はコバノミツバツツジしかない。

その先で分岐が多くなり一瞬迷ったかと思うが、踏跡を追って行くと

歴史を感じさせる杣道に出た。伐木を搬出した木馬道の跡であろうか。

峠に行くのに何故か道は上って行く。峠は瓢箪崩山の頂上にほど近い。

寒谷峠に到着した。摩耶山にも同じ名の谷があるので親近感を感じる。

かつては岩倉と大原を結ぶ交通路だったのであろう。大原の戸寺から

谷沿いに道があり登って来れそうだが、渓相はごく平凡なようである。

峠から瓢箪崩山の頂上までは15分程度だが、以前に歩いているので

立ち寄らない。というか飴一粒も持って来ていないのでお腹が空いた。

急な坂道を九十九折に下って行くと10分程で林道の終点に降り立つ。

後は岩倉長谷町に向けてブラブラ歩いて行くだけ。さて平日とはいえ

山中で誰一人にも出会わなかった。ツツジの盛期だっただけに不思議

な感じさえする。スマホのアプリがバス停への最短路を教えてくれる。

長源寺前バス停から箕ノ裏ヶ岳を望む。今日歩いた稜線がほぼ見える。

15時8分四条河原町行きの京都バスに乗車。下車した途端に周囲は

外国人観光客の渦。近くの食堂に飛び込んで遅い昼食を摂り帰宅する。

記事中に摩耶山の花弁より小ぶりと書いたが、後日に見た摩耶山系の

ヒカゲツツジも小ぶりだった。そのぶん一株の花数が多いと云うのが

今年の傾向みたい。地図を見ると大原から市原への縦走もしてみたい。

次の週に嵐山公園で見た掃除用具「」。昔は竹製であるが現代でも

プラスチック製となり使用されている。この裏返した姿が由来だろう。

岩倉から見た箕ノ裏ヶ岳の山容だ。もっとも静原側の呼び名は藤ケ森。