摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

逢坂山(325m)・長等山(354m)・・滋賀県大津市

高校の授業で習った和歌等は、全くと言って良いほど覚えていないが、

山に関するものは多少記憶に残っている。すなわち大江山と逢坂の関

である。大津に住んでいた事もあるのに、その逢坂山は歩いていない。

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JR山科駅を出て東へ向かう。道路標識に三条通の文字を見て驚いた。

京都に度々来るようになって認識を改めている。だが山科区まで続く

とは思っていない。さて逢坂の関は何処だったか判然としないらしい。

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此の先の峠を越えて大津市内に下った辺りとか。今日の行程にはない。

国道1号線の北側を東へ詰めて行くと京阪京津線追分駅の前。料金に

問題なければ最寄り駅。更に東へ進むと摂取院という寺の門前に至る。

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塀に沿って東側の山際に進むと、山道があるが入口に伐木が積み上げ

られていた。何らかの意図があるのかと深読みして、強引に進まずに

浅い谷沿いの踏跡を追う事にした。地形図にはそちらにも破線がある。

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此れは間違いだった。浅い谷一面が伐採されていて作業路跡が残って

いる。東側の尾根に乗るべく破線路を探しながら谷奥まで進んで行く。

だが見つけられずに意を決して、スイッチバックするように藪に入る。

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破線路も踏跡も見つけられないまま南東へ斜上して行く。思ったより

急斜面で不調の家族には悪い事をした。やっぱり伐木のバリケード

乗り越えてでも、尾根尻の道に入るべきだった。反省することしきり。

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四苦八苦の末に尾根に乗れば明瞭な道があった。何をしている事やら。

背の低い雑木林を淡々と歩いて行くと、やがて紅白に塗られた大きな

鉄塔が見えて来た。堅田線三五鉄塔。西から南西にかけて展望がある。

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山科区の市街。稲荷山から清水山にかけての低い山稜。その向こうは

唐櫃越しの長嶺だろうか。南西には行者ヶ森・高塚山・醍醐山が一つ

の塊となって見えている。だがすぐ近くの音羽山は樹林に隠れている。

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堅田線三五鉄塔から広くしっかりした尾根道となる。緩やかなアップ

ダウンを繰り返し北東へ進んで行く。すると路傍に意外な看板を見る。

NHKの伝送線埋設経路とある。電波の届き難い地域があるんだろう。

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地形図を見ると四ノ宮の新興住宅街は三方を山に囲まれ、受信状況が

悪そうだ。稲葉台の背後に電波塔のマークがあるので、そこまで配線

していると思われる。続いて荒神口支線二九鉄塔。標高は約300m。

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逆光だが南側に音羽山が見えて来た。その山頂には巨大な鉄塔があり

高圧線が北へ延びていた。それは此処よりも東側を走っているようだ。

今日も鉄塔巡りになる予感。鉄塔マニアではないが低山歩きには付物。

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八角形のコンクリートの塊がある。銘板に菱形基線測点(国土地理院

とある。この上に観測機器を置いて、地殻変動を観測するとのだとか。

大文字山、花山天文台、新山科浄水場と此処(追分)の4ヶ所にある。

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その後も歩きよい道が続く。昨夜は河原町五条の宿に泊まった。一時

粉雪が舞っているのを見たが、山の上ではそこそこ降っていたようだ。

北西の風が吹いて雲が次々流れて行くが、気温はそれほどに低くない。

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城北線四〇鉄塔に到着。この高圧線が音羽山の頂上を経由している。

北側の如意が岳には、見えるだけでも20近い高圧鉄塔が立っている。

ほぼ平坦な道を北へ進むと、路傍に三角点がポツンと寂しげにあった。

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三角点に立ち止まる人は少ないようだ。それもそのはずで少し先には

琵琶湖を見晴らす展望所がある。実質的に此処が逢坂山の頂上だろう。

滋賀県に住んでいたが、こんなに青い色の琵琶湖を見るのは初めてだ。

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展望はあるものの頂上らしさに欠け、何となく居心地が良くなかった。

食事休憩にも早いので先へ進む事にする。小関越へ向けどんどん下る。

旧東海道の峠を大関越と言ったのに対して、この名前が付いたと云う。

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此処は琵琶湖疎水沿いを歩いた折に一度越えている。大きな地蔵堂

ある他は何もない。反対側の斜面は最近に伐採された植林地であった。

その中を北の谷奥に向けて道が続く。私製道標が一つか二つあるのみ。

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峠から浅いとはいえ谷間を詰めるという一風変わった山道。この先も

複雑な地形が待っているような気がする。この下には湖西線の長等山

トンネルが通っている。逢坂山の頂上直下は東海道本線が通っていた。

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初めて歩く山だが、列車では気づかない内に何度も通過していた訳だ。

谷間を詰め終えると平坦な尾根に乗った。しばらくで林道が交差する。

この林道は三井寺のもので進入禁止。それと別に寺へ下る歩道がある。

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つまり林道は除いて四差路。新しい道標は「如意越」の道を示すもの。

2月1日に歩いた鹿ヶ谷の道にも如意古道という案内があった。それ

以降に新設された物だろう。三井寺起点だが、その点に少々難がある。

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三井寺を通過するには500円の入山料が要る。如意越古道再興には

高いハードルである。実際にネットで参考記録を拝見しても、小関峠

や長等山から早尾神社に迂回する方が多い。団体山行は催行しにくい。

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児石(ちごいし)を通過すると尾根が細くなる。京都側に車道が見え、

大きな建物がある。山頂直下とも云える場所だが、何の為の建造物か。

西大津バイパスの長等トンネルの真上で、その関係施設かもしれない。

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主稜線の三叉路を東側に向かうと山頂らしき所に至る。やや乱暴とも

思われる伐採が行われている。巨岩が点在しているので座り込み昼食

休憩をとる。眺望は逢坂山頂上よりも劣るし伐採は無益な事だと思う。

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三叉路に戻り東に向かう。そのまま進めば皇子山ゴルフ場に突き当り、

千石岩を経由して早尾神社に下れるが迂遠だ。すぐ谷へ下る道が分岐

するので降りて行く。地理院地図では破線が途切れている個所である。

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斜降していた道も凹地に突き当って判り難くなる。踏跡も乱れた感じ

だけど取り敢えず下って行く。谷間まで下り着けば明瞭な道があった。

逆コースだと一瞬迷うかも知れない。道標は無かったように思われる。

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琵琶湖西縦貫道路西大津バイパス)に行手を遮られるが、建設以前

にあった歩道の通行権は確保されている。これは日本の道路行政にお

ける基本的な事のようだ。心配せずとも此処も幅広いトンネルがある。

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何を言いたいかと云うと、山道も車道(自動車専用道路を除く)でも、

歩行者は積極的に通行権を主張し歩きたい。権利の上に眠る者は保護

されない。消滅時効を説明する伝だが、歩道の確保にも当てはまろう。

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そんな事を言っても家族は聞く耳持たず。かつて競輪場があったので

西大津の地理は概ね分かる。京阪線で三条にでるのが近いが510円

と高い。JR大津京駅から京都駅へ240円。歩いて四条烏丸へ戻る。