前日はJR丹波口駅近くに泊まった。亀岡の牛松山へ行こうかと思い
つつも、25度に温度設定した部屋から出られず、チェックアウトの
11時前に起き出した。もう遅いので伏見区の大岩山に行ってみよう。
京都駅で奈良線に乗り換えて桃山駅。一日の乗降客約4000人とか。
周囲は住宅街であり京都市内とは思えない鄙びた様子。ホームに咲く
花は桃かと思ったが寒桜だとか。四つある桃山と付く鉄道駅の内一つ。
桃山駅から東へ歩いて行くと、明治天皇陵に突き当ってビックリする。
深草トレイルについては多少調べたが、伏見桃山城以外は何の知識も
無かった。桃山駅は御陵の為の駅で、戦前は参拝客で賑わったそうだ。
ただ我々は道標に従い、明治天皇陵から桓武天皇陵参道に入って行く。
そのまま進めば大階段があったようで、立ち寄ってみても良かったな。
いつものハイクとは全く違う展開に、少なからず面食らってしまった。
大きな駐車場の傍に出た。広い敷地には近くの養護学校のバスが数台。
どうやら此処が旧キャッスルランドの跡地のよう。近鉄の関連会社の
経営だったが、現在は京都市立の運動公園の一部となっているそうだ。
2003年の閉園とそんなに昔の話ではない。一度も来た事はないが、
何となくテレビCM等の記憶がある。園内に客寄せの為に立てられた
模擬天守と呼ばれるコンクリート製のお城。今日一番の見所スポット。
城内に立入りは出来ないが外観は見れる。本当の伏見桃山城は現在の
明治天皇陵の敷地にあったとかで、場所的にも往時を偲ぶのは難しい。
そんな訳で世間から、パチモン扱いされてるような気がしてならない。
勝手に抱いていたイメージとは違い、遊園地にあったとは思えない程
立派なお城で感心する。今の大阪城だってコンクリート製で大林組が
作ったものなんだし、このお城ももっと大切にされても良いかと思う。
もし他の地方自治体なら耐震工事を施して、観光の目玉にされている
かもしれない。だが京都には歴史的建造物が沢山あるので無理だろう。
お城の周囲には桜の木が沢山あるので、お花見には穴場だと思われる。
運動公園から東西に細長い北堀公園に遊歩道があったようだが、外に
出てしまう。交通量の多い車道を東に進むと、深草トレイルの道標が
現れた。これを頼りにと思っていたのだが、途切れ途切れにしかない。
道標に従って進むと八科峠に至る。六地蔵から宇治方面が眺められる。
右側の立派なお屋敷の前に峠名が記された石碑がある。さぞかし由緒
あるお宅かと思われる。筋向いには黒田長政下屋敷跡の石碑があった。
予想外に歴史散歩のようなハイクになったが、コースが竹林に入ると
雰囲気が一変して遠い記憶が蘇る。昭和40年から50年代の北河内。
広範囲の竹林が次々に宅地開発されていた頃の風景にそっくりである。
無味で殺伐とした風景。放置され荒れ放題の竹林の横に、赤土が露出
する工事現場が市松模様の如く入り混じる。とてもハイキング気分で
歩くような場所ではない。こんな所をトレイルと言うのは無理がある。
緩やかな坂道を歩いて行くと、次に現れるのは大きな太陽光発電施設。
この黒いプレートは、日本の農村風景を各所で徹底的に破壊している。
昭和と平成の自然破壊を眺めるハイクになってしまった。気分は憂鬱。
舗装路の先に電波塔が見える。地理院地図によるとその向こう辺りが
大岩山の頂上らしい。ただし旧のゴルフ場敷地だし、三角点ではなく
標高点なので敢えて立ち寄る気はしない。右手は大規模な工事現場だ。
大型ダンプカーが行き交う車道脇に、簡素な展望所が設けられていた。
残念ながらガスって遠望は利かない。後から知ったが背後のゴルフ場
跡地は産廃の不法投棄が行われていて、豪雨で土砂崩れもあったそう。
展望所から南西側の眺め。太陽光発電施設の先に見える黒いポッチが
伏見桃山城。右側に見える黒い建物は京セラの本社だとか。京都駅の
近くには伺った事があるが、伏見区に移転していたとは知らなかった。
展望所からやっと山歩きらしくなる。すぐ朱塗りの小さな社が現れる。
たぶん地図に記された大岩神社の末社であろう。ところが何だか変だ。
荒れ放題って感じ。更に下って行くと、倒壊した石の鳥居まで現れた。
無住の寺とか荒れ寺とは言うけど、荒廃した神社なんて今まで一度も
見た経験がない。何故なら神社は近在に氏子がいるはずだし、何より
神社本庁の管轄なので、こんな規模の神社を放置しておくはずがない。
朱塗りの大鳥居も腐って倒れている。本殿や社務所等は傾きながらも
立っている。お参りに来る人もわずかだがいるようで、しめ縄や花が
飾られている。ただ無住であることには間違いなく早晩崩れるだろう。
お参りに来る人に餌を貰っているのか、ネコが一匹住んでいるようだ。
この後も下山道沿いに末社や鳥居が建てられている。その中で新しい
社には平成2年と記されていた。その頃は管理されていたのだろうか。
帰ってから調べると、この神社は神社本庁に属していなかったらしい。
京都によくある単立神社とも違うよう。全く根拠はないが大阪辺りの
人が、民間信仰を装って観光地として作ったような気がしてならない。
寄進された石柱や鳥居に記された住所や氏名を見ていて思うだけの事。
一時は相当な信仰を集めながら、廃れてしまったのには訳があるはず。
更に下って行くと崩れた鳥居の先に、奇妙な文様の石の鳥居が現れた。
つまり裏側を見ているが、西洋風の女性や兎が浮き彫りになっている。
美しいとは思わないが、とてつもない費用が掛っている事だけは分る。
そういう意味では凄い。左に1962石工・京都・中村広次郎とある。
更に下側から見ると此れも奇妙。向かって右側には仏僧のような人物、
左側には中国の武人か貴人の様な人物が彫られている。その他の意匠
も普通の神社では見かけないものばかり。くらくらと眩暈がしそうだ。
近くに寄進者の碑があった。調べてみると堂本印象という人は有名な
日本画家だそう。昭和37年とそんなに古い話ではない。現在の状況
を草葉の陰で嘆いておられるに違いない。見ているだけで疲れて来た。
竹林の中を下って行く。普通に考えれば里に近い所に本殿や社務所の
跡がありそうだが見つからないまま車道に出てしまう。これで一応は
大岩山は終りだけど、歩き足りないので地図にある七面山を目指そう。
京都一周トレイルは稲荷山に向かうが、その途中の西側にある小山だ。
何となく名前が気になった。南アルプスに同じ名の山があり、結局は
登らずじまいだったが、昔に計画だけした事がある。そのリベンジ?。
ごく々普通の住宅街を歩いて名神高速道路の隧道を抜ける。とはいえ
手前には仁明天皇の深草陵があったりする。京都一周トレイルの道標
が諸所にあるので迷う事はないが、楽しいハイキングとは言えないな。
グネグネ曲がってやっと農地が見えて来た。どうやら貸農園みたいだ。
小さな区画に農具や資材が置かれていて、ゴミゴミした感が否めない。
緩やかな丘陵地帯と言えば聞こえは良いが、歩いていても楽しくない。
何とも不思議な看板が路傍にあった。滝の名が沢山書いてあるのだが、
後ろに括弧書きの苗字。つまり全部で10の滝に人が住み着いている。
滝自体が民間信仰の対象となっていて、その守をする人の家なのかな。
京都一周トレイルは右の道。進めば稲荷山に至る。七面山は左にある
はずだが、市立京都工芸院高校という大学並みに巨大な学校があって
進めない。取り敢えず左へ歩いて行くが、山際には一向に近づけない。
仕方なく北へ向かって歩いて行くと、神社らしきが小さな谷にあった。
後で調べると命婦滝という所らしく、やはり滝を御神体として祀られ
ているのだろう。私道だと思われるが西に続いているので進んでみる。
鳥居や社が続いた後は菜園と住宅が現れた。ちょうど七面山の北側と
思い、此処から入れないかと覗いたが、やはり工芸院高校の高い壁に
遮られた。元へ戻って西側へ頼りない私道を辿って行くよりなかった。
貸農園の脇を通って公道へ出る手前で、南側に山に上る車道が見えた。
ややこしい話だが、七面山の南東から北西へ半周している。此の車道
を歩いて行くのが簡単そうだ。どうやら公園なので歩いても良いはず。
此処は京都市深草墓地だった。この頃は山歩きでなく墓地巡りばかり
している。振り返ると京都タワーがキレイに見えていた。直進すると
此の先車道は行き止まり、左手の階段を上るともう少し上へ行けそう。
墓地公園の最上部まで来た。京都タワーは右側の樹林に隠れて見えず。
ところで此処は墓石は全く無い。何だろうと思ってグーグルの地図を
見てみると樹木型納骨施設と記されていた。只それ以上の詳細は不明。
もう少し高い所があるようだ。緩やかで広い道が林の奥に続いている。
ところで此の山の西麓に宝塔寺という日蓮宗のお寺がある。調べると
山梨県の七面山にも、日蓮宗総本山の塔頭があるので関係がありそう。
頂上らしき場所には墓石らしきが3基ある。碑文には明治三十七八年
戦没兵卒戦病死者合葬碑とある。日露戦争の戦没者の慰霊碑のようだ。
伏見に第16師団が設立された頃だ。因みに師団の跡地は聖母女学院。
頂上からは西側へ下る道があった。地道が石段になると社殿が現れる。
一見すると仏教寺院のようだが、七面宮というから神社だろう。名前
からすると宝塔寺の付属施設かも知れない。神仏習合の一端だろうか。
いい加減な事は言わない方が良いけど、今日は宗教施設巡りみたいに
なってしまったので、知識も関心も薄いが色々と考える。立派な石段
が思ったより随分長く続いた。地理院地図にもしっかり記されている。
どんどん下って行けば宝塔寺の境内に入る。名の通り立派な多宝塔が
ある。1438年以前の建立とか。本堂は1608年、それと総門の
三つが重要文化財。今日まで名前も知らなかったが相当な歴史の寺院。
室町時代に建立されたという総門から、塔頭が並ぶ奥に仁王門を望む。
何気なく山から下りて来て、このような文化遺産に出会えるのが京都。
半日ほどの山歩きだったが、明治天皇陵から始まって見所があり過ぎ。
ぶらぶら住宅街を歩いてJR稲荷駅。道路を挟んだ向かい側に壮麗な
伏見稲荷の鳥居や社殿が見える。大岩神社の荒れようと比べると何が
違うのかと考え込む。曇りがちだが二月にしては暖かい一日であった。