昭和山(しょうわざん)は、大阪市大正区千鳥二丁目にある人口の山。
標高は33mで、鶴見新山に次ぐ大阪市内第2位の高さである。JR
環状線大正駅から2km。大正区役所前バス停からはすぐに位置する。
早い話が行こうと思えばいつでも行けたが、何かの機会を待っていた。
それが急に高野山に行く事になり連続登山を目論む。ノーマルルート
は面白くないので、JRゆめ咲線の終点桜島駅からアプローチしよう。
桜島駅から700m程も歩くと天保山渡船場(桜島側)。此処が長い
キャラバンのスタート。対岸の築港側へ400mの渡し。時刻は9時。
USJの従業員らしき人達が、自転車に乗って多数下船して来られた。
大阪市内に現存する渡船場は八か所。その内の七つは大正区に絡むが、
天保山渡船場だけ港区と此花区を結んでいる。両岸にUSJと海遊館
があるので、一番都会的な雰囲気を持っている。南港のビル群を望む。
築港側の渡船場に着いて防波堤を越えれば天保山公園のはず。しかし
山頂に導く道標は見当たらない。山と云うからは一番高い所だろうと、
公園中央の丘に上がってみるが、三角点や山名碑は全く見当たらない。
地図を再確認し渡船場の方向に戻ってみると、はるか低い所に山名板
らしき物が見えた。なるほど渡船場から高い防波堤を越えて来たので、
標高4.5mの天保山の頂上へは、逆に2mも下らねばならないのだ。
この看板も怪しいな。今は日本で二番目に低い山として知られている。
三角点の標石も見当たらない。想像ではこんもり盛り土がしてあると
思っていた。がっかり山頂だな。此処を目標にして来なくて良かった。
天保山公園を後にして、3.4Km先の甚兵衛渡船場に向かう。八つの
渡船を全て利用して昭和山にアプローチしようというのが今日の計画。
地下鉄中央線に沿って東進する。歩道があるのか若干心配していた所。
そんな心配は不要であった。途中は大きな府立体育館や大阪プールを
左に眺め乍ら歩いて来た。ごく普通の市街地の先にある甚兵衛渡船場。
大通りに標識があるので迷わないが、渡船場はどこも目立たない立地。
此処は15分に一本と運航回数の多い所。通勤時間帯を過ぎたからか
数名が自転車で降りて来られたが、帰りの船で渡ったのは我々だけだ。
のんびりとした風景だけど、ラッシュ時の様子も見てみたい気もする。
次の千歳渡船場へは大きな団地の中を歩いて行く。此処まで予想した
風景と良い意味で異なっている。もっと殺伐とした工業地帯を歩くと
思っていた。千歳橋は歩いて渡る事もできるが高さも長さも半端ない。
ウォーキングっていう感じのご近所の方が渡って来られたが、対岸に
行くのに此の橋を徒歩で渡るのは現実的でない。そんな理由で渡船場
が存続しているんだろう。ちょうど船が此方側に戻って来たところだ。
渡船場は何方か一方の岸が基地になっていて、職員用の待機所があり
運航の合間には舟艇も停泊する。この千歳渡船場はこちら北恩加島側
がベースである。なので次の運航までは15分ばかり待つ事になった。
岸壁間の距離は400mの天保山に若干負けるが、景色の雄大さでは
第一だと思う。香港のスターフェリーをちょっと思い出したりするが、
感傷に浸る間もない371m。あっと言う間に対岸に着いてしまった。
渡船が北恩加島側に戻って行く。対岸遠くに見えるのはJR環状線の
弁天町駅前のビルだろう。渡った鶴町側は工場や倉庫も多いが、住宅
も多くて小学校もある。行った事はないがイケアの鶴浜店がこの近く。
次の船町渡船場が謎の存在。グーグル地図には細い溝のような水線を
渡るように記されている。表通りから道標に従い脇道に入って行くが、
石油タンクが並ぶ様子にこのまま進んで良いのか一瞬躊躇してしまう。
この運河がなぜ地図では細い水線に描かれているかは謎だ。ともかく
幅75mと八つの渡船場の中では最も狭い。対岸に見える中山製鋼所
の高炉の煙突が印象的だ。いよいよ思っていたような工業地帯に入る。
ところで大阪の渡船は全て舳先がある舟型。この幅だと尾道の渡船の
ように両方向に進める艀型の方が効率が良いと思うのだけど。此処は
特に狭くて毎回急なS字カーブを描いて、行き来しなければならない。
渡船場から南進して突き当るのが中山製鋼所。映画ブラックレインは
大して面白くなかったが、製鋼所の通勤風景が一番印象に残っている。
そんな事を思い出したけど、ロケ地は淀川製鋼所で此処ではなかった。
何はともあれハードボイルドな雰囲気が高まってきた。このルートを
計画した時、ほとんどこんな所を歩くと思っていた。ただ意外だった
のは、ずっと歩道は広いし歩行者も自転車も少なくて歩き易いことだ。
次の木津川渡船場は45分に一本の運航で、20分待たねばならない。
その間に新木津川大橋のループ部分を登ってみよう。橋の高さは最高
部分が50mあるという。時折、自転車が凄いスピードで下って来る
片道10分で最上段へ上がれるかと思ったが、2段目までしか行けず
タイムアップ。もう戻ろう。歩道は内側についているので眺望は余り
良くなかった。急いで下っていくが渡船場が車道から割と遠くて焦る。
対岸までの距離は238mだけど、新木津川大橋は遠くまで続き橋長
495mという。この辺りから空模様が怪しくなるし、流石に5回目
ともなると渡船に乗ることも慣れてしまいテンションが下がって来た。
次の千本松渡船場までは3.9kmと最長区間だ。コンビニがあった
のでカップ麺で簡単に昼食を済ます。壁画が書いてある堤防の外側は
名村造船所跡地。現在はクリエイティブ何とかで催事場になっている。
堤防に沿って歩いていると細密な壁画がある。帰って検索してみると
TONAというドイツ人アーティストの作品とか。もっとも筋向いの
ガレージにはバンクシーの絵も数点描かれていたのでその真偽は不明。
名村造船所辺りから歩道が狭くなった。交通量も多くて少々気忙しい。
千本松大橋下に着いたが、次の運航までは3分しかない。車道の向う
側に渡ったけど却って遠回りだった。此処では思わず走ってしまった。
千本松大橋は両岸がループになっていて最高部は36m.建設時には
大型船を建造する造船所が、木津川沿いに幾つもあったからだという。
現在は造船業が衰退し、この高さを必要とする船舶は通らないそうだ。
渡った南恩加島では大阪製鐵所に沿って歩くが、その古びた設備には
かなり驚かされた。昭和初期かと思うような風景で、これでは中国や
韓国に太刀打ち出来ないだろう。1.2km歩き落合下渡船場に着く。
南恩加島側では強力な電気磁石を備えた重機が、鉄くずをダンプから
荷降ろししていた。その様子が興味深くて待ち時間の間見入っていた。
残る渡船場はあと一つだ。長い舗装路歩きで既に足が痛くなっている。
最後の落合上渡船場は、車道からの入口に標識がなくて少しウロウロ。
今まで気づいてなかったが、堤防を越える手前に運航中止を知らせる
ランプがあって悪天候の折には手前で引き返せる。渡れば昭和山の麓。
落合上の千島側は住宅密集地で大規模な団地もある。津守側の渡船場
から見えていた森を目指して、適当に歩いていくと公園入口の階段が
あった。約14kmのアプローチの末、ようやく昭和山に取り付ける。
登山地図など何も持っていないので、園内の案内図を確認してみよう。
どうもよく分からないが中央が、地下鉄建設時の残土を盛って作った
という昭和山であろう。そしてどうやら登頂ルートは3つあるようだ。
周囲には他に高い所はないので、昭和山の頂上に違いない。螺旋状に
歩道が山頂を目指している。開聞岳に似ていると家族も思ったらしい。
とりあえず一番近い歩道に入って行くが、間違いなく頂上に着くはず。
標高僅か33mだが長いアプローチの為に、緩やかな傾斜さえキツイ。
今は水仙が咲いているが、アジサイやツツジ等も植えられ四季の花を
楽しめるようになっている。我々の外にも三々五々登山者を見かける。
時刻は14時15分。JR桜島駅をスタートしてから5時間30分で
昭和山の頂上に到着した。コースタイムは知らないが我々の事だから
かなり遅いと思われる。三角点こそないけど立派な山頂碑に報われる。
頂上からは360度の眺めと言いたいが、樹木や団地に遮られている。
西から南にかけての180度程がスッキリ見える。六甲山は樹幹越し
に山影が見える程度。テルモスの白湯で小休止したら下山に掛かろう。
天保山はがっかりだったので、それなりに山らしい昭和山に満足した。
大阪市第一の高峰は鶴見山(44m)だが、ネットで写真を見る限り、
これほどには山らしくない。周囲の平地との比高差が無いからだろう。
再び落合下の渡船を利用して津守側に戻った。周知の事だろうが大阪
市営渡船は全て無料だ。観光客然とした我々にも職員の方々は丁寧に
応対して頂いた。さて此処から約2km東へ歩いて新今宮駅へ向かう。
明日早朝に南海電車で、高野山に行くので新今宮駅横の宿に投宿する。
あてがわれた部屋からは旧労働福祉センターが見える。予約サイトの
クーポンを使って一室1500円だが男女別浴場もあって存外に綺麗。
夕食は通天閣近くの店へ行くが、なぜか今時に外国人観光客の団体で
満席だった。それにしても久しぶりの新世界は派手になった。通天閣
の電飾も記憶にあるより遥かに明るい。さて明日に備えて早く寝よう。