信貴山の名前はもちろん知っていたが、ハイキングの対象として考え
た事はなかった。グーグルマップを見ても何処が山頂なのか分らない。
でも歩いてみたい所を見つけた。ケーブル廃線跡だという真直ぐな道。
それを楽しみに近鉄恩智駅に到着。2面2線のホームを有する高架駅。
8時前と通勤時間帯だが閑散としている。1日の乗降客は3000人。
高架下に昭和な商店街もあるが、特に見るべき物もなく東へ歩き出す。
ところが恩智神社へに道沿いには江戸時代の豪壮な商家が並んでいた。
この背後には木綿問屋だったという屋敷がある。江戸時代の恩智村は
相当に裕福な村だったと分かる。ならば此の先の恩智神社もさぞかし。
予想にたがわず立派な石段が延々と続く。両側はブロック塀のように
見えているが、一本百万円の奉賛金の石柱である。社殿は特別大きい
訳ではないが社格に応じた立派さ。今も多くの信仰を集めているよう。
ところが神社北側から山に入って行く車道を辿ると、廃材置き場とも
個人の山荘ともつかない雰囲気の箇所を通る。生駒山系では谷ごとに
強い個性を放つ人の暮らしや歴史を感じさせる物を必ず見る事になる。
ようやく公設道標が現れたので、道を間違えていなかったと安心する。
密生する笹薮が作るトンネルの中を、まずは高安山に向かって行こう。
この後も濃密な笹薮が続くが、道は良く草刈りされており歩きやすい。
一段上がると展望所に出る。ベンチもあるので一休みしよう。右端に
あべのハルカスが見えている。梅田のビル群は森に隠れ見えていない。
正面が南港辺りで、その先に六甲摩耶が見えるはずがハッキリしない。
近鉄・信貴山口駅を示す道標があるが、その示す方向は草深い廃道状。
西信貴ケーブル沿いは北側の道がメインルートのようで、南側に道が
あるとはつゆ知らず。地図を見直すと確かにあるが歩く人は少なそう。
主稜線に飛び出るとそこは墓地であった。縁を北に向って歩いて行く。
墓石を見ると全て在日韓国人の方のお墓。本籍地が刻んであり済州島
が多いが、幾つかは訪れた事のある地名もあって旅の思い出話をする。
ケーブルで上がって来られたのだろうか、墓参りの人と擦れ違いつつ
車道を北進すると「ごじゅうからガーデン」と記された私設の道標が
路傍に目立つ。何だろうかと西側の山道に入ると展望台に飛び出した。
これが見事な眺望。南は淡路島、北は愛宕山から比良山系まで見える。
梅田のビル群も長大な六甲摩耶山系も一望のもとだ。展望台の周囲は
パラダイス化しており、ゴチャゴチャ感もあるが展望の良さが上回る。
展望台の下には近鉄西信貴ケーブル高安山駅。バス停が有る以外何も
なくて閑散としているが一日12本の運行が有る有人駅。券売機では
名古屋までの切符も買える。当然赤字路線だと思うが近鉄て何か凄い。
バス道路に背を向け北側の草深い道に入って行くと、「かいうんばし」
と書かれた小さな陸橋が現れる。橋の下にケーブル信貴山口駅からの
歩道が上がって来ている変則的な三叉路。橋の名の由来は後で分かる。
しばらく左手を注意しながら歩いて行くと、踏跡が有ってほんの少し
上ると高安山の頂上。草木に囲まれ展望は皆無。特に立ち寄る必要も
なかったな。だが二等三角点なので昔なら測量用の櫓でもあったろう。
信貴生駒スカイラインを横断して西側の山道を進む。大昔の話だけど
家族が縦走しようとするとスカイライン沿いの歩道が無くなっていた
そう。古いガイド本には縦走路があるが、地理院地図は途切れている。
スカイラインは今も歩行禁止だけど、生駒山縦走は出来るのだろうか。
何て気のない話をし乍ら進んで行く。弁財天滝から上がって来る道と
合流すると道幅が一気に広がり、しばらくすると舗装路に飛び出した。
九十九に登って行くと鳥居が並ぶ参道に出た。信貴山って朝護孫子寺
という仏教寺院だと思っていたのに・・。これが神仏習合って事かな。
有人の売店もあって、守り神の白蛇に供える生卵などが売られている。
空鉢堂という社殿が有る所が信貴山の頂上らしい。狭い山頂に社殿や
石碑なんかでぎゅうぎゅう詰め。それでも南側の展望がすこぶる良い。
明神山、屯鶴峰、二上山、葛城山、金剛山が一列に並ぶ様子は圧巻だ。
参拝客は多くて次々上がって来られる。中には金属製の水入れを手に
している人もいる。水道がないので本堂そばの水屋から持って上がり
供えるらしい。空鉢堂からは参道を新しい多宝塔の脇を通って本殿へ。
此処まで下って来ると、中国語や韓国語があちこちから聞こえて来る。
トイレ脇には添乗員らしき数名が屯していたりする。朝護孫子寺なる
寺の名は今回初めて知ったが、外国人観光客にも魅力的なのだろうか。
本堂の舞台に上がってみる。奈良盆地を一望に出来る。恐らく大高の
山々も見えているはずだが同定できない。実は東側の此の眺めよりも
西側の境内、山の斜面に幾多の伽藍が立ち並ぶ姿の方が見応えがある。
西側に銀色に光る地蔵尊が見えたので行ってみる。途中の渡り廊下が
何とも美しい意匠。派手な幟が無ければと思ってしまう。右手は宿坊。
今日は近大付属小学校とフランスからの団体旅行者が宿泊されるそう。
色んなご利益がある仏様がいらっしゃる。ハムは金集弁財天様に合掌
しておく。下って行くと赤門の外に世界一福寅という巨大な虎がいる。
家族が首を振るのかなと言って、動かそうとするのを慌てて制止する。
境内は出たけど道に迷う。すると立派な橋があった。案内板によると
珍しい工法で国の登録有形文化財だとか。それよりもこの橋が熱心な
信者の寄進によるという点に驚いた。橋長は106m。昭和6年竣工。
道に迷って門前町の見所を逃してしまった。ケーブル跡入口まで来た。
背後にはバス待合所。敷地の広さからケーブルの駅舎跡だと思われる。
ここから昭和58年に廃線となった東信貴鋼索線の跡地を利用した道。
地図を見ると一直線の細い道が描かれ、思わず歩いてみたいと思った。
ケーブル線跡にしては傾斜が緩い。一ヶ所だけ橋梁部分もあるが他は
穏やかだ。ただ此処もパラダイス化し私物が放置されているのが残念。
県立高校前に出てからは車道を歩くが、此処もケーブル線跡で一直線。
往時の信貴山の隆盛ぶりを想像するが、乏しい知識では追い付かない。
正面に大和川に囲まれた王子の街並み。ビルが林立して都会的な風景。
近鉄生駒線信貴山下駅にはケーブルの車両が展示されていた。王子の
市街はすぐそこに見えるのに間には大和川が蛇行していて近づけない。
ここから電車に乗れば良かったが、昼食の為に多聞橋を渡ってしまう。
慣れない土地では無駄な動きをしてしまう。JR王寺駅の跨線橋から、
信貴山の姿を見ると二上山にそっくりと気づく。いずれも火山活動で
出来た山なんだろう。なだらかな山だと思っていたが中々秀麗である。
ところで今日は大和八木駅近くに泊まる。新王寺駅から一度乗り換え。
とは知っていたが駅前のサインを見て絶句。これから乗る田原本線は
両端がぶち切れてる。同じ標準軌なのに何故。う~ん近鉄の闇は深い。
今日のBGM
あのさぁ、高い山なんてないよ。深い谷だって、広い川だって・・・。