摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

高取山(584m)・・・奈良県高取町

阪神電車を使って奈良県に行くのが楽で気に入っている。若い頃には

ハイキングの対象とも思えなかった奈良盆地周辺の低山を訪れている。

山自体に魅力は少ないが、初めて知る街並みや人々の様子が興味深い。

9月に入っても酷暑が続く。いや太陽が低くなった為に陽射しが強い。

こんな日は展望の山より、樹林の山の方が良いだろうと高取山を選ぶ。

甲子園、尼崎、西大寺橿原神宮前の4回の乗り換えで壺阪山に到着。

8時15分スタート。国道を渡り次の辻を曲がると土佐街道が現れた。

城下町の風情が残るこの道が高取山へのアプローチのよう。事前には

何も調べていなかったのでかなり得した気分。ゆっくり歩いて行こう。

このような街並みが1km程続いた。復元したテーマパークのような

景観でなく、現代生活が営まれつつも残る昔の面影という感じが良い。

領主の下屋敷を移築した皮膚科医院が営業中なのはちょっと吃驚した。

高取城の松ノ門を移築した児童公園から、再び国道169号線に戻る。

道中やはり城下町の風情が残る街並みである。しばらく歩いて行くと

壷阪寺を示す道標が現れた。車道を離れて林道状の地道を進んで行く。

山道に入ると針葉樹の人工林。すぐ隣に車道があるとは思えない静寂。

今日のコースに展望は期待していない。むしろ強い日差しを避ける為、

樹林に覆われた山を選ぶ。川沿いの路が最後は九十九折の急坂になる。

登りきると壷阪寺の大駐車場に出た。日差しが強く眩しくて仕方ない。

此の寺の名はなぜか知っている。調べてみると「壺阪霊験記」の舞台。

子供の頃に「妻は夫をいたわりつ~」の名文句を聞いたからだろうか。

料金所前に高取城跡を示す道標があった。此の場所で集合や体操等は

するなと注意書きがあった。一休みしたいが一段上に上ってしまおう。

因みに拝観料は800円。大規模なな駐車場と云い拝観者は多いよう。

階段道を上がり現れた車道脇に座り込む。コンクリート造りの伽藍が

立ち並び、平成19年製の釈迦如来石像が際立っている。さて目指す

高取山は何処だろう。電波塔が見えるが、更にその奥のピークだろう。

左に境内を眺め乍ら車道を歩いて行くと高取城址を示す道標が現れた。

このまま車道を進んでも着くみたいだが、歩くのなら山道の方が良い。

緩やかな道を進むと、地理院地図に五百羅漢と記された場所に着いた。

新しい石仏が沢山並んでいるが此れは違うだろう。その左手を見ると

表面がデコボコした大岩があった。しばらく眺めているとその凹凸が

羅漢の姿である事に気付いた。柔らかい花崗岩に仏像が彫られている。

摩崖仏は一ヶ所にとどまらず次々に現れる。それぞれ名前の立て札が

ある。それを読むと仏像と云うより神仏習合の頃の様様な神々みたい。

かつては壷阪寺の奥の院があったらしいが、今はその名残は一切ない。

摩崖仏の斜面を抜けると尾根筋に出るが、傾斜は上がらずダラダラと

した道が続いている。植林帯が続き植生の魅力は無いが、期待以上に

涼しく楽に歩けている。陽光が届かないせいか、標高のせいだろうか。

二度ばかり車道に出る。道標によると電波塔をいつの間にか行き過ぎ

ているようだ。八幡神社を過ぎると石柱や案内板がある入口に着いた。

ここには立派な観光パンフレットも置いてあった。一部頂き先に進む。

この山の頂に山城跡があるとは知っていたが、そんなに期待していた

訳ではない。崩れかけた石垣が森の中に点在するぐらいと思っていた。

身近にある山城が、神戸脊山の城山や灘区の五鬼城跡であるからかも。

いずれにしろ戦国末期には山城は時代遅れになって、平城や平山城

移ったというのが自分の知識であった。ところが此の高取城は思いの

外に大規模である。その上に石垣の良い状態で保たれているのに驚く。

先の観光パンフレットを読み直してみると、譜代大名である植村氏は

江戸幕府に断りなしに修理をする事も許されていたといい、明治4年

まで居城していたという。なるほどそれでこれほど状態が良いと知る。

最上部の本丸は落葉樹林に囲まれ明るい雰囲気である。これは一見の

価値があるだろう。写真では表現仕切れないが、かなりの広さである。

展望を求めてあちこち歩き回ってみるが、樹林に邪魔され眺望はない。

本丸の中でも一番高いと思われる場所に三等三角点があった。点名は

高取。僅かに高取町方面が抜けているが、霞んでおり見るべくもない。

城址には小さな東屋やトイレもあり車で来る観光客にも対応している。

休憩場所を求めて本丸をウロウロしていると南の隅に方位版があった。

ちょうど木陰もある。此処で休もう。大台ヶ原大峰山も見えるよう。

残念ながら霞んでハッキリしない。冬ならば白銀の峰々が望めるかも。

小一時間も休んでいたろうか。重い腰を上げて帰途に付く。平日だが

チラホラとハイカーはいる。なので城跡といえど寂しい感じはしない。

ところで高取城跡には、樹齢数百年かと思われる大木が至る所にある。

こちらは千年杉という立札のある巨木。その他モミジの木も多いので

紅葉の季節には石垣とのコントラストが美しいと思われ。さて下りは

壷阪寺には戻らず高取川に向って下る。此方が昔のメイン道路である。

城下町から城への主な通路であった道。つまり一番楽に上がって来る

ルートな訳だが見所は無いので下りに選んだ。ただ途中に猿石という

奇妙な彫刻があった。築城の際に飛鳥時代の石像を運んで来たらしい。

その他は何もなく淡々と幅広い道を下って来た。いや実際には往時の

通行が多かった此方の方が遺跡は多いのだろうが、山歩きとして興味

の対象が無かったという意味。歴史好きな方には違った印象であろう。

城下町まで戻ってきた。立派な長屋門が現れる。かつての城代家老

役宅であり、現在は城主の植村氏の住居であるとか。時刻は13時と

まだ早い。地図を見ると北側のキトラ古墳や高松塚が歩いて行けそう。

30分ほど歩いてキトラ古墳に到着。この日の奈良地方の最高気温は

35度を超えていた。山中では快適だったが30分の歩行でヘトヘト。

いつもは高くて買えない自販機の飲料水。思わず買ってガブ飲みする。

古墳自体は韓国のお墓のような小さな土饅頭なのだが、広大な範囲が

国設の遺跡公園として整備されている。道路を挟んだ地上と地下には

立派な展示施設もある。相当な来場者を見込んで建設されているよう。

展示内容からはこんなに国費を掛ける必要が有るのか疑問に思ったが、

クーラーが効いた展示室は涼しかった。高松塚古墳に寄る余力は無く、

まっすぐ橿原神宮前駅まで歩いた。柄にもなく城址と古墳の歴史散歩。

 

 

 

今日のBGM


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