摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

ケーブル廃線跡から愛宕山(924m)・・・京都市右京区

梅雨空の日にネット徘徊していると、京都の愛宕山に昔ケーブル線が

あったと知る。その廃線跡を歩いたという山行記事も数多く見かける。

京都市の周辺で歩ける山域を探していたので、渡りに船と乗ってみる。

f:id:aw2q:20210622125015j:plain

阪急嵐山駅から清滝バス停まで京都バス(230円)乗車。実はこの

バス路線も往時あった愛宕山鉄道の平坦線部分を辿っている。一車線

しかない清滝トンネルも、その鉄道の遺構だと言われれば納得できる。

f:id:aw2q:20210622125036j:plain

清滝川を金鈴橋で渡ると、正面に立派な石段があった。これが愛宕山

鉄道鋼索線清滝川駅の入口だった所。上がると駐車場のような平地に

出る。ここに駅舎があったのだろうが、建物の跡は何も残っていない。

f:id:aw2q:20210622125058j:plain

この時は気づかずに歩いていたが、この階段は多分ケーブルのホーム。

摩耶山のケーブル山麓駅と比べると、随分と緩やかな駅舎だったよう。

二軒の民家の前を過ぎると、左上の清滝表参道と平行するようになる。

f:id:aw2q:20210622125115j:plain

さて軌道跡に入ると、二か所に針金や有刺鉄線のバリケードがあって、

立入禁止の看板もある。いずれも数十年前に設けられた物のようだが、

今も有効だろう。なので以降の通行は人にお勧め出来るものではない。

f:id:aw2q:20210622125134j:plain

バリケードは高さ70センチ程あり迂回出来ずに跨いだが、背の低い

家族は手古摺っていた。特に有刺鉄線の箇所は難しい。ネット上の山

行記事では余り書かれていない事。やがて1号トンネルが見えてくる。

f:id:aw2q:20210622125208j:plain

暗いので家族はスマホのライトを点けているが、出口が見えてるので

少し目を慣らした方が広い範囲が見えて良いのではと思う。トンネル

内では中央部分が凹んでいるので、うっかりすると転倒の恐れがある。

f:id:aw2q:20210622125240j:plain

1号トンネル出口は両脇の擁壁が崩れている。このケーブル線開業は

1929年(昭和4年)と摩耶ケーブルより5年遅い。それにしては

荒廃が過ぎるのではなかろうか。コンクリートの寿命は百年というが。

f:id:aw2q:20210622125301j:plain

もちろん摩耶ケーブルは改修を繰り返していると思うが、基礎部分が

崩壊したのでは維持費が掛かって仕方ないだろう。すぐ2号トンネル

が見えて来た。昨日は一日中雨が降った。その為かヒンヤリしている。

f:id:aw2q:20210622125323j:plain

2号トンネルは短かく内部も明るい、状態も良くてスンナリ通過する。

廃業は1944年(昭和19年)、戦時中に不要不急路線として廃止。

金属回収令により鋼線やレール等、外せるものは全て供出したそうだ。

f:id:aw2q:20210622125342j:plain

今年よく使われた不要不急が、戦時中の言葉だったとは初めて知った。

摩耶ケーブルも同年に軌道を供出し廃線となっているが、昭和30年

に運行再開。その差は何か。2号トンネルを抜けると橋梁で谷を渡る。

f:id:aw2q:20210622125458j:plain

3号トンネルは内部が崩壊し通行不能という。家族はそれを確かめに

行けというが、脚力を浪費したくない。谷側の斜面に取りついて巻く。

最初こそザレているが、しっかりした踏跡がトンネル出口まで続いた。

f:id:aw2q:20210622125520j:plain

3号トンネルからしばらくは落ち着いた斜面となる。山側から土砂が

押し出しているが、この位なら保守も容易だろう。だがそれも長くは

続かない。再び橋梁区間が現れる。橋脚部はとても太く作られている。

f:id:aw2q:20210622125534j:plain

結局、我々が認識しただけでも5か所の橋梁区間があった。それほど

険しい山肌に作られていると言う事だし、建設費用も膨大だったかと

想像する。僅か15年の営業期間では全てを回収できなかっただろう。

f:id:aw2q:20210622125556j:plain

家族は橋梁の右側を歩いて行くが、後ろから見ていても怖い。谷側は

10m以上の高さである。普通の階段のように見えても平らではない。

苔の生えた部分に筋が残っているのが、レールの有った所なのだろう。

f:id:aw2q:20210622125619j:plain

4号トンネルは短く状態が良い。愛宕山鋼索線は距離2km。高低差

639mと当時は東洋一を誇った。一方摩耶ケーブルは距離900m

高低差312mと半分以下の規模。その分維持し易かったと言えよう。

f:id:aw2q:20210622125800j:plain

素人考えだが摩耶ケーブルが生き残った一因かも知れない。トンネル

出口で複線となっていた。此処が上り下りの擦れ違い箇所なのだろう。

この複線区間の上端部分もまた橋梁だ。家族に中央を歩くように言う。

f:id:aw2q:20210622125840j:plain

お腹が空いたのでオニギリ2個づつの小休止。見上げると軌道の跡が

うねっている。ひび割れた所も多い。その割目を見ると大きな砂利が

大量に混ざっている。どうやら全線が均質な工事ではなかったようだ。

f:id:aw2q:20210622125923j:plain

5号トンネルも崩壊しているという。やはり谷側斜面に巻き道がある。

急斜面なのでロープが残置してあった。最初は一直線に登って行くが、

良く踏まれた水平路となる。5号トンネルは相当の長さがありそうだ。

f:id:aw2q:20210622125947j:plain

一般道らしき幅広い道と交錯する。後で調べると表参道の5合目から

大杉谷沿いに頂上を目指す道らしい。我々は道を渡って斜上して行く。

不思議な程よく歩かれている道が続いている。別の目的があるのかも。

f:id:aw2q:20210622130011j:plain

何はともあれ5号トンネル出口に着いた。帰宅後に読んだブログでは

天井が崩壊し土砂で埋まっている。その辺り遺構や廃墟の好きな方の

ブログが詳しいし分かり易い。ハイカーの記事は歩く事が優先で単純。

f:id:aw2q:20210622130025j:plain

朝方は寒いくらいだったが、気温も上がって来た。昨夜の雨で濡れて

いた苔も乾きつつある。余り期待はしていなかったが、周囲の植生に

見るべき物はない。大きく成長した針葉樹に囲まれ展望も得られない。

f:id:aw2q:20210622130048j:plain

そういえば5号トンネル出口に、拳大の石英(水晶)が置いてあった。

近くに鉱脈があるのだろうか。巻き道が立派だった理由かもしれない。

また橋梁がある。この区間はかなり長い。山側の軌道跡を歩いて行く。

f:id:aw2q:20210622130109j:plain

6号トンネルに着く。これが最後のトンネルのはず。ところで愛宕山

には遠い昔に一度来ている。保津峡駅から水尾コースを辿った。冬に

積雪を求めてだったが、山頂付近は少なくて竜ヶ岳まで行ったはずだ。

f:id:aw2q:20210622130210j:plain

退屈な山行という記憶が強くて、二度と来ることはないと思っていた。

6号トンネルを抜けるとまた橋脚区間がある。コンクリートの床部分

が全て崩壊してしまい、軌道部分だけが残っている。慎重に通過する。

f:id:aw2q:20210622130231j:plain

バリケードが有った。これは上から下って来る人を制する為だろうが、

中途半端な位置だ。家族は左側を潜って抜ける。ハムは跨いで越えた。

有刺鉄線ではない。マウンテンバイクで下って来ると激突しそうな所。

f:id:aw2q:20210622130259j:plain

振り返ると比叡山が見えていた。京都市内も一部見えるが、梅雨空に

スッキリしない景色だ。その分気温もさほど上がらず楽に歩いている。

ところでこの遺構は地理院地図に駅舎を除いて、一切記されていない。

f:id:aw2q:20210622130329j:plain

それってどうなんだろうと思う。軌道跡はともかく橋梁やトンネルは、

かなり大きな構造物だ。立派な針葉樹が立っている。この日に唯一目

をひいた植生である。さて前方に駅舎らしい黄土色の壁が見えて来た。

f:id:aw2q:20210622130344j:plain

午前10時に愛宕山鉄道鋼索線愛宕駅跡に到着。金鈴橋からちょうど

2時間掛かっている。愛宕駅の標高は740m。金鈴橋は標高69m

なので比高差670mである。普通の人なら1時間半で歩けるだろう。

f:id:aw2q:20210622130400j:plain

駅舎の柱はコンクリートが溶け出している。特に東南の隅は鉄筋だけ

になっていたりと、かなりの劣化がみられる。同じ廃墟でも摩耶観光

ホテルとは違って、入場を禁ずるような措置は取られてはいないよう。

f:id:aw2q:20210622131129j:plain

2階へ上がれるし、屋上や地下の機械室へもへ入ろうと思えば入れる。

マヤカンで最も危険な点は、床や天井といった木造部分が現存する事。

そういう朽ちた造作が、全て撤去されているのが良いのかも知れない。

f:id:aw2q:20210622131238j:plain

駅舎前には京都愛宕研究会名の綺麗な案内板がある。廃墟ではあるが

ゴミ一つない清浄な様子。入場も自己責任に任せている辺り、京都の

知的な雰囲気を感じたりする。マヤカンもこういう姿にならないかな。

f:id:aw2q:20210622131427j:plain

駅舎の北側745標高点付近には、昭和5年開業した愛宕山ホテルの

基礎部分が残っている。案内板には木造平屋建てだと記されているが、

地階の部分も相当広いスペースがある。北側に遊園地跡の案内もある。

f:id:aw2q:20210622131457j:plain

元の駅舎前に戻って西に向かう水平路を進む。道標の類は一切ないが

他に道が見当たらないので合っているはず。山頂まで標高差180m

もある。摩耶山同様にロープウェイの計画もあったが実現していない。

f:id:aw2q:20210622131534j:plain

水尾別れのすぐ上で清滝からの表参道に合流する。いきなり大勢の人

が行き交う広い道に出て面食らった。そういや今日は日曜日だったな。

しばらく道脇に寄って、大勢の人をやり過ごしてから後をついて行く。

f:id:aw2q:20210622131641j:plain

最初の内は思ったよりも緩やかな石段が続く。やがて社務所やトイレ

等がある広い平坦地に着いた。登山者向けの休憩舎も設けられており、

至れり尽くせりな所である。東側の木陰のベンチで休む人が大勢いる。

f:id:aw2q:20210622131706j:plain

そのまま進むと本殿へ至る急な石段が始まった。信心の無い我々には

辛いだけの上り。それでも足を動かしていれば思っていたより質素な

本殿に着いた。昭和4年以降、90年間大規模な補修はされていない。

f:id:aw2q:20210622131742j:plain

御屋根の損傷も著しく祭祀に支障をきたしているという。令和8年の

大祭に向けて造替事業を計画されている。この時は気づかなかったが

924m標高点は本殿脇に打たれている。写真測量で標石はないはず。

f:id:aw2q:20210622131843j:plain

北側に三角点があるというので行ってよう。本殿前の石段を半ばまで

戻ると東側の分社に下る道が有った。やがて石段下から斜面を巻いて

来る林道と合流する。右下には月輪寺への道の展望所があって賑やか。

f:id:aw2q:20210623111526j:plain

林道は本殿のある山頂部分を巻いて行く。東に比叡山(848m)や

京都市街。この日見た中で一番スッキリした眺望である。ただし道は

小型車が通れる位の幅員があるので、山歩きらしい風情は皆無である。

f:id:aw2q:20210622132159j:plain

分岐が現れる。右側が首無し地蔵ルートだが、神社の公式サイトでは

参道ではないと赤字で強く否定されている。当社とは一切関係がない

とまで言われているので、何らかの京都らしい曰く因縁がありそうだ。

f:id:aw2q:20210622132228j:plain

先の分岐で左側の樒ヶ原ルートに入って、しばらくすると東側に入る

脇道がある。小さな私製道標もあるので迷う事はないだろう。急な道

を辿って行くと、電柱が立つ広場に出る。背後の崖上に三角点がある。

f:id:aw2q:20210622132338j:plain

残念ながら石柱はなく、水準点のような金属の円盤が設置されている。

標高も890mと山頂より34m低い。展望もさして良い訳ではない。

入れ替わりハイカーが訪れているが、あえて来る必要はなかったかも。

f:id:aw2q:20210622132459j:plain

それでも広場にベンチ代わりになるものがあったので、木陰を選んで

昼食にしよう。コッペパンにチーズとスモークサーディンを挟んだ物

とブドウ。コーラ(150円)は社務所前の自動販売機で買ってきた。

f:id:aw2q:20210622132552j:plain

下りは元の表参道を下って行くが、休憩舎のある水尾別れからさらに

200m程下った所で右の脇道に入る。JR保津峡駅に下り着く道で

ツツジ尾根と呼ばれている。道標類はないがとても踏まれた良い道だ。

f:id:aw2q:20210622132636j:plain

杉の若木を鹿から保護する為か、延々とネットが張ってある。それが

終ると急傾斜の道が続く。植生も景色も見るべく物もなく一枚の写真

も取っていないが、ゴミもマーキングも一切なく清浄に保たれている。

f:id:aw2q:20210622132654j:plain

荒神峠に下りて来た。此処は四差路で下りは三方向に道が伸びている。

写真中央の太い道が保津峡駅。左側が落合橋へ下る道だが平成元年に

JRの駅舎が移転してからは、通行する人が減って廃れている様子だ。

f:id:aw2q:20210622132722j:plain

案内板があるが峠の説明図で、落合と水尾への道しか記されていない。

ツツジ尾根の道がないのは何とも悩ましい。ハイカーが赤マジックで

追記しているが頼りない。JR駅70分ともあるが長すぎやしない?。

f:id:aw2q:20210622132813j:plain

荒神峠からは緩やかな下りとなる。背の低い灌木が多くなる。名前の

通りにツツジが多いのかと探して歩くが、中々見当たらない。かなり

下りポツポツ見かける。摩耶山長峰山の密生度に比べ名に値しない。

f:id:aw2q:20210623152422j:plain
眼下に保津峡駅が見えて来た。ホームに立ってカメラを構える三人の

姿が見えている。その向こうの旧福知山線を走るトロッコ列車を写す

為だろう。節理の細かい岩盤がザレた急な道をどんどんと下って行く。

f:id:aw2q:20210622132848j:plain

府道50号線に降り立つ。此処にも道標やマーキングの類は一切ない。

とても好ましい状況だが、道は単調で登るかと問われれば遠慮したい。

水尾側に進むと大きな橋があり渡るとすぐに駅で、荒神峠から50分。

f:id:aw2q:20210622132929j:plain

10分も待てば京都駅行き普通列車が来る。さて今日の山行はどうか。

ハム的には摩耶ケーブルの現況と比して興味深かったが、遺構等には

何の興味もない家族には不評のよう。山としての魅力は確かに欠ける。

f:id:aw2q:20210623135546p:plain

 

 

今日のBGM


www.youtube.com