梅雨空の日にネット徘徊していると、京都の愛宕山に昔ケーブル線が
あったと知る。その廃線跡を歩いたという山行記事も数多く見かける。
京都市の周辺で歩ける山域を探していたので、渡りに船と乗ってみる。
阪急嵐山駅から清滝バス停まで京都バス(230円)乗車。実はこの
バス路線も往時あった愛宕山鉄道の平坦線部分を辿っている。一車線
しかない清滝トンネルも、その鉄道の遺構だと言われれば納得できる。
清滝川を金鈴橋で渡ると、正面に立派な石段があった。これが愛宕山
鉄道鋼索線清滝川駅の入口だった所。上がると駐車場のような平地に
出る。ここに駅舎があったのだろうが、建物の跡は何も残っていない。
この時は気づかずに歩いていたが、この階段は多分ケーブルのホーム。
摩耶山のケーブル山麓駅と比べると、随分と緩やかな駅舎だったよう。
二軒の民家の前を過ぎると、左上の清滝表参道と平行するようになる。
さて軌道跡に入ると、二か所に針金や有刺鉄線のバリケードがあって、
立入禁止の看板もある。いずれも数十年前に設けられた物のようだが、
今も有効だろう。なので以降の通行は人にお勧め出来るものではない。
バリケードは高さ70センチ程あり迂回出来ずに跨いだが、背の低い
家族は手古摺っていた。特に有刺鉄線の箇所は難しい。ネット上の山
行記事では余り書かれていない事。やがて1号トンネルが見えてくる。
暗いので家族はスマホのライトを点けているが、出口が見えてるので
少し目を慣らした方が広い範囲が見えて良いのではと思う。トンネル
内では中央部分が凹んでいるので、うっかりすると転倒の恐れがある。
1号トンネル出口は両脇の擁壁が崩れている。このケーブル線開業は
1929年(昭和4年)と摩耶ケーブルより5年遅い。それにしては
荒廃が過ぎるのではなかろうか。コンクリートの寿命は百年というが。
もちろん摩耶ケーブルは改修を繰り返していると思うが、基礎部分が
崩壊したのでは維持費が掛かって仕方ないだろう。すぐ2号トンネル
が見えて来た。昨日は一日中雨が降った。その為かヒンヤリしている。
2号トンネルは短かく内部も明るい、状態も良くてスンナリ通過する。
廃業は1944年(昭和19年)、戦時中に不要不急路線として廃止。
金属回収令により鋼線やレール等、外せるものは全て供出したそうだ。
今年よく使われた不要不急が、戦時中の言葉だったとは初めて知った。
摩耶ケーブルも同年に軌道を供出し廃線となっているが、昭和30年
に運行再開。その差は何か。2号トンネルを抜けると橋梁で谷を渡る。
3号トンネルは内部が崩壊し通行不能という。家族はそれを確かめに
行けというが、脚力を浪費したくない。谷側の斜面に取りついて巻く。
最初こそザレているが、しっかりした踏跡がトンネル出口まで続いた。
3号トンネルからしばらくは落ち着いた斜面となる。山側から土砂が
押し出しているが、この位なら保守も容易だろう。だがそれも長くは
続かない。再び橋梁区間が現れる。橋脚部はとても太く作られている。
結局、我々が認識しただけでも5か所の橋梁区間があった。それほど
険しい山肌に作られていると言う事だし、建設費用も膨大だったかと
想像する。僅か15年の営業期間では全てを回収できなかっただろう。
家族は橋梁の右側を歩いて行くが、後ろから見ていても怖い。谷側は
10m以上の高さである。普通の階段のように見えても平らではない。
苔の生えた部分に筋が残っているのが、レールの有った所なのだろう。
4号トンネルは短く状態が良い。愛宕山鋼索線は距離2km。高低差
639mと当時は東洋一を誇った。一方摩耶ケーブルは距離900m
高低差312mと半分以下の規模。その分維持し易かったと言えよう。
素人考えだが摩耶ケーブルが生き残った一因かも知れない。トンネル
出口で複線となっていた。此処が上り下りの擦れ違い箇所なのだろう。
この複線区間の上端部分もまた橋梁だ。家族に中央を歩くように言う。
お腹が空いたのでオニギリ2個づつの小休止。見上げると軌道の跡が
うねっている。ひび割れた所も多い。その割目を見ると大きな砂利が
大量に混ざっている。どうやら全線が均質な工事ではなかったようだ。
5号トンネルも崩壊しているという。やはり谷側斜面に巻き道がある。
急斜面なのでロープが残置してあった。最初は一直線に登って行くが、
良く踏まれた水平路となる。5号トンネルは相当の長さがありそうだ。
一般道らしき幅広い道と交錯する。後で調べると表参道の5合目から
大杉谷沿いに頂上を目指す道らしい。我々は道を渡って斜上して行く。
不思議な程よく歩かれている道が続いている。別の目的があるのかも。
何はともあれ5号トンネル出口に着いた。帰宅後に読んだブログでは
天井が崩壊し土砂で埋まっている。その辺り遺構や廃墟の好きな方の
ブログが詳しいし分かり易い。ハイカーの記事は歩く事が優先で単純。
朝方は寒いくらいだったが、気温も上がって来た。昨夜の雨で濡れて
いた苔も乾きつつある。余り期待はしていなかったが、周囲の植生に
見るべき物はない。大きく成長した針葉樹に囲まれ展望も得られない。
そういえば5号トンネル出口に、拳大の石英(水晶)が置いてあった。
近くに鉱脈があるのだろうか。巻き道が立派だった理由かもしれない。
また橋梁がある。この区間はかなり長い。山側の軌道跡を歩いて行く。
6号トンネルに着く。これが最後のトンネルのはず。ところで愛宕山
には遠い昔に一度来ている。保津峡駅から水尾コースを辿った。冬に
積雪を求めてだったが、山頂付近は少なくて竜ヶ岳まで行ったはずだ。
退屈な山行という記憶が強くて、二度と来ることはないと思っていた。
6号トンネルを抜けるとまた橋脚区間がある。コンクリートの床部分
が全て崩壊してしまい、軌道部分だけが残っている。慎重に通過する。
バリケードが有った。これは上から下って来る人を制する為だろうが、
中途半端な位置だ。家族は左側を潜って抜ける。ハムは跨いで越えた。
有刺鉄線ではない。マウンテンバイクで下って来ると激突しそうな所。
振り返ると比叡山が見えていた。京都市内も一部見えるが、梅雨空に
スッキリしない景色だ。その分気温もさほど上がらず楽に歩いている。
ところでこの遺構は地理院地図に駅舎を除いて、一切記されていない。
それってどうなんだろうと思う。軌道跡はともかく橋梁やトンネルは、
かなり大きな構造物だ。立派な針葉樹が立っている。この日に唯一目
をひいた植生である。さて前方に駅舎らしい黄土色の壁が見えて来た。
午前10時に愛宕山鉄道鋼索線愛宕駅跡に到着。金鈴橋からちょうど
2時間掛かっている。愛宕駅の標高は740m。金鈴橋は標高69m
なので比高差670mである。普通の人なら1時間半で歩けるだろう。
駅舎の柱はコンクリートが溶け出している。特に東南の隅は鉄筋だけ
になっていたりと、かなりの劣化がみられる。同じ廃墟でも摩耶観光
ホテルとは違って、入場を禁ずるような措置は取られてはいないよう。
2階へ上がれるし、屋上や地下の機械室へもへ入ろうと思えば入れる。
マヤカンで最も危険な点は、床や天井といった木造部分が現存する事。
そういう朽ちた造作が、全て撤去されているのが良いのかも知れない。
駅舎前には京都愛宕研究会名の綺麗な案内板がある。廃墟ではあるが
ゴミ一つない清浄な様子。入場も自己責任に任せている辺り、京都の
知的な雰囲気を感じたりする。マヤカンもこういう姿にならないかな。
駅舎の北側745標高点付近には、昭和5年開業した愛宕山ホテルの
基礎部分が残っている。案内板には木造平屋建てだと記されているが、
地階の部分も相当広いスペースがある。北側に遊園地跡の案内もある。
元の駅舎前に戻って西に向かう水平路を進む。道標の類は一切ないが
他に道が見当たらないので合っているはず。山頂まで標高差180m
もある。摩耶山同様にロープウェイの計画もあったが実現していない。
水尾別れのすぐ上で清滝からの表参道に合流する。いきなり大勢の人
が行き交う広い道に出て面食らった。そういや今日は日曜日だったな。
しばらく道脇に寄って、大勢の人をやり過ごしてから後をついて行く。
最初の内は思ったよりも緩やかな石段が続く。やがて社務所やトイレ
等がある広い平坦地に着いた。登山者向けの休憩舎も設けられており、
至れり尽くせりな所である。東側の木陰のベンチで休む人が大勢いる。
そのまま進むと本殿へ至る急な石段が始まった。信心の無い我々には
辛いだけの上り。それでも足を動かしていれば思っていたより質素な
本殿に着いた。昭和4年以降、90年間大規模な補修はされていない。
御屋根の損傷も著しく祭祀に支障をきたしているという。令和8年の
大祭に向けて造替事業を計画されている。この時は気づかなかったが
924m標高点は本殿脇に打たれている。写真測量で標石はないはず。
北側に三角点があるというので行ってよう。本殿前の石段を半ばまで
戻ると東側の分社に下る道が有った。やがて石段下から斜面を巻いて
来る林道と合流する。右下には月輪寺への道の展望所があって賑やか。
林道は本殿のある山頂部分を巻いて行く。東に比叡山(848m)や
京都市街。この日見た中で一番スッキリした眺望である。ただし道は
小型車が通れる位の幅員があるので、山歩きらしい風情は皆無である。
分岐が現れる。右側が首無し地蔵ルートだが、神社の公式サイトでは
参道ではないと赤字で強く否定されている。当社とは一切関係がない
とまで言われているので、何らかの京都らしい曰く因縁がありそうだ。
先の分岐で左側の樒ヶ原ルートに入って、しばらくすると東側に入る
脇道がある。小さな私製道標もあるので迷う事はないだろう。急な道
を辿って行くと、電柱が立つ広場に出る。背後の崖上に三角点がある。
残念ながら石柱はなく、水準点のような金属の円盤が設置されている。
標高も890mと山頂より34m低い。展望もさして良い訳ではない。
入れ替わりハイカーが訪れているが、あえて来る必要はなかったかも。
それでも広場にベンチ代わりになるものがあったので、木陰を選んで
昼食にしよう。コッペパンにチーズとスモークサーディンを挟んだ物
とブドウ。コーラ(150円)は社務所前の自動販売機で買ってきた。
下りは元の表参道を下って行くが、休憩舎のある水尾別れからさらに
200m程下った所で右の脇道に入る。JR保津峡駅に下り着く道で
ツツジ尾根と呼ばれている。道標類はないがとても踏まれた良い道だ。
杉の若木を鹿から保護する為か、延々とネットが張ってある。それが
終ると急傾斜の道が続く。植生も景色も見るべく物もなく一枚の写真
も取っていないが、ゴミもマーキングも一切なく清浄に保たれている。
荒神峠に下りて来た。此処は四差路で下りは三方向に道が伸びている。
写真中央の太い道が保津峡駅。左側が落合橋へ下る道だが平成元年に
JRの駅舎が移転してからは、通行する人が減って廃れている様子だ。
案内板があるが峠の説明図で、落合と水尾への道しか記されていない。
ツツジ尾根の道がないのは何とも悩ましい。ハイカーが赤マジックで
追記しているが頼りない。JR駅70分ともあるが長すぎやしない?。
荒神峠からは緩やかな下りとなる。背の低い灌木が多くなる。名前の
通りにツツジが多いのかと探して歩くが、中々見当たらない。かなり
下りポツポツ見かける。摩耶山や長峰山の密生度に比べ名に値しない。
眼下に保津峡駅が見えて来た。ホームに立ってカメラを構える三人の
姿が見えている。その向こうの旧福知山線を走るトロッコ列車を写す
為だろう。節理の細かい岩盤がザレた急な道をどんどんと下って行く。
府道50号線に降り立つ。此処にも道標やマーキングの類は一切ない。
とても好ましい状況だが、道は単調で登るかと問われれば遠慮したい。
水尾側に進むと大きな橋があり渡るとすぐに駅で、荒神峠から50分。
10分も待てば京都駅行き普通列車が来る。さて今日の山行はどうか。
ハム的には摩耶ケーブルの現況と比して興味深かったが、遺構等には
何の興味もない家族には不評のよう。山としての魅力は確かに欠ける。
今日のBGM