摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

梅雨明け前の比良山系縦走 弐日目

夜中に一度目が覚めたが、なぜか不思議なほど明るかった。それに風も

なく静まり返っていた。5時前に外に出ると周囲は薄いガスに包まれて

いたが、上空は晴れて明るい月が残っている。今日はどんな天気だろう。

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前回ここに来たのは15年前。スキー場が閉鎖となった年の3月のこと。

僅かに記憶があるがヒュッテや事務所がありゴチャゴチャした所だった。

良くここまで自然回帰したものだ。キャンプは禁止した方が良いと思う。

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5時40分に出発しパノラマコースを登って行く。80年代にスキー場

拡張計画に対して八雲ヶ原の自然を守れと、反対運動をしたのは滋賀県

の山岳団体である。ならば自然に帰ろうとしている八雲ヶ原を守るべき。

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パノラマコース最上部から釈迦岳方向。自分自身が幕営したのに言うの

も変だが、比較的近くに、広谷、北比良峠、金糞峠下とかキャンプ適地

がある。八雲ヶ原を禁止としても問題ないと思うのだが、どうだろうか。

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コヤマノ分岐。滋賀県北部に比べると貧弱なブナ林。ここまで稜線では

なくの南側の山腹を歩いてきた。稜線沿いの冬道しか歩いた事が無かっ

たので少々面食らう。大津市が設置した道標だが此れが欠陥商品だった。

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6時42分、コヤマノ岳から西南稜に出る。円柱に方向板をネジ4つで

止めているが、常に強風を受けるこの場所では、方向版が羽根となって

徐々にネジは緩む。その結果、下まで落ちてグルグル回ってしまう状態。

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6時44分、武奈ヶ岳山頂。何度も来ているので感慨はないし、ガスが

立ち込め展望も無いが、さして気にならない。昔は沢登りしてきた人達

が、これ見よがしにワラジをぶら下げていたりしたが、そんな事も無い。

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西南稜を下って行く。ようやく標高にふさわしい雰囲気となる。後から

考えると、この辺りから中峠までが、今回の山行で好ましかった場所だ。

琵琶湖側は植生も乏しく、植林や人の残滓も多いので、楽しめなかった。

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7時32分、ワサビ峠。此処から中峠を経て金糞峠へ向う。このコース

を選んだのは理由がある。35年前に見た風景が、記憶違いでないかを

確かめたい。或る夏の日、家族と二人で、口の深谷を遡行した時のこと。

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最後の2段15mの飛瀑は、自分には難しく相当緊張したと覚えている。

源流域に入り、一般道が横切る所で遡行終了した。この日は暗雲が空を

覆い雨が降っていた。束の間に雲の切れ目から陽が差し樹林を照らした。

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その場所が、たぶん此の円形のキャンプ適地。スポットライトをあてた

ように、そぼ降る雨がキラキラ光って、それは素晴らしい天場に見えた。

いつの日か幕営したいと思ったのだが、それ以来未だに果たせずにいる。

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口の深谷を徒渉して中峠に出る手前、良い雰囲気だが、どうしても同じ

滋賀県の山と比べてしまう。鈴鹿ならもっと明るく軽やか。湖北ならも

っと重厚で趣があると。同じ労力を払っても、比良は得るものが少ない。

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中峠からは杉林帯下って行く。相当な巨木もあり見応えはあるが、やは

り好きにはなれない。奥の深谷源流との出合までは、地形図以上に長く

感じ疲れた。コヤマノ岳南稜との分岐はペンキで汚されて雰囲気が悪い。

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私製でもよいので道標の設置が望まれる所。奥の深谷源流から金糞峠は

ほんの僅かの登り。逆に言うと峠から1分下れば水が得られる。峠から

掲示物も多く比良山のメインルートに出たよう。琵琶湖側はガスの中。

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標高900mを超えた道沿いに大きな刻印石がある。この先の南比良峠

は相当幅広い道が通じていたようだ。それにしても、こんな巨岩を此処

からどうやって降ろしていたか。芦屋の刻印石など到底及びもつかない。

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9時53分、南比良峠。この辺りは単調な樹林の道でかなり疲れてきた。

おまけに濡れた靴下がよれて足が痛い。路傍に座り込み行動食の鈴カス

テラを食べて水を大量に飲んだ。それにしても主稜線がシダ藪って嫌だ。

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烏谷(からと)山、10時36分。かなり気温が上がり汗だくになって

到着。本当の頂上はもう少し上だが、立ち寄る気もしない。いずれにし

ろ展望はないだろう。それにしても歩く季節が悪いのか何の見所もない。

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烏谷山の山頂下に抜けた所があった。葛川越を挟んで比良岳を望むはず

だが、ガスに隠れている。かなりの急斜面で軽装のハイカーが息を荒げ

ながら登って来られた。その割に比良岳の上りは緩やかで拍子抜けする。

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比良岳、11時17分。完全に名前負けの山頂。比良を代表するような

山かと思いきや、平たく間延びした山頂。というか此処も実際の山頂は

少し北よりだ。道標の設置位置からも、何処でもいいやという感がする。

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木戸峠を過ぎればキャンプ場の遺構を抜けて、びわこバレイスキー場の

ゲレンデに入る。以降は蓬莱山の頂上までハイカー向けの道標はないの

で、正直通り抜けてよいのか疑心暗鬼。夏休みとあって結構人出がある。

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打見リフトも蓬莱リフトも営業運転していた。食堂を覗いてみたが観光

地価格というか東京並みの物価。一方で無料で遊べる遊具が沢山置いて

あり、遊べるようになっている。子供連れにはそれなりに楽しめそうだ。

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賑やかな観光客の間を抜け、蓬莱ゲレンデ東隅を登ってきた。ハイカ

の居場所はない。こんな場所はさっさと通り抜けたい。だが蓬莱山には

一等三角点があった。さすがに立派で三角点の文字も正字で彫ってある。

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座り込んで行動食を食べるのも憚られる雰囲気だ。山頂ではにわか雨が

降りはじめ、折り畳み傘を取り出したがすぐ止んだ。ガスが晴れて眼下

に琵琶湖が見えてきた。これ以上雨は降らないでほしいと願うばかりだ。

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蓬莱山から小女郎峠に向かう道。先行者は全て鹿さん。蓬莱山から権現

山にかけては鹿の姿も頻繁に見かけるようになる。この辺りはシーズン

初めに山スキーの足慣らし的に滑降した所。無雪期に縦走した事はない。

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当時びわこバレイスキー場は土曜の夜は終夜営業していた。夕方上って

来てナイターを滑り、ベゴニア温室で仮眠をとって翌朝に平まで滑降し

て帰るという日程だった。傾斜が緩いのでさして楽しいコースではない。

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歩いているとキーンと甲高い鹿の鳴き声。警戒した時に威嚇する声色か。

二匹の鹿が此方を見ているのが分かるだろうか。もっと至近距離でも出

会っているが、すぐに走り去るので写真は撮れていない。トンボも沢山。

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13時48分、ホッケ山頂上。鹿の食害で裸地となりつつある。ここで

座り込み行動食を食べる。この時間なら今日中に帰宅できそうだ。水も

残す必要がないので沢山飲む。ただ足裏の痛みが段々と酷くなってきた。

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14時44分、権現山頂上。ホッケ山よりもシカの食害の影響が大きい。

丸裸と云っても良いくらい。南下に見えるのが霊仙山。昭和55年版の

昭文社地図には記されていないが、道があるそうで登ってみたいと思う。

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権現山から少し下れば林道に出る。このまま道なりに下れば栗原集落に

出るが、前方の霊仙山を目指す。ところが分岐を見過ごしたようだった。

林道が稜線から離れる所で気づいて、斜面を強引に登って主稜線に戻る。

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細いがしっかりした道を辿り霊仙山頂上。空はスッキリ晴れ梅雨明けを

感じさせる。後で知ったが実際この日、滋賀県を含む近畿地方に梅雨明

け宣言が出された。頂上からは杉の植林帯の急傾斜の道を一気に下った。

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16時34分、無線中継所。ここから辛い車道歩き。北から南への縦走

を計画したのは、この間を上りには取りたくなかったからだ。栗原のバ

ス停には17時20分に着いたが、平日の最終便は16時40分だった。

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栗原のバス停から更に一時間近く歩いて和邇駅に着いた。駅前の平和堂

で弁当と飲料を買い、18時41分普通電車に乗車し京都駅。烏丸まで

歩いて阪急電車で帰宅する。随分と疲れた。熊野古道に行けるだろうか。