また何処かへ行きたくなって、書棚から昭文社の地図「比良山系」を
出してきた。多少の土地勘もあるし、1泊か2泊で縦走できるだろう。
コースタイムの積算もせず、2泊3日分の食料をザックに詰め込んだ。
ダイヤも調べず適当に家を出て、阪急電車で烏丸駅。JR京都駅まで
歩いて湖西線に乗る。9時21分に近江高島駅着。徒歩20分ほどで
登山口のある音羽集落に着く。滋賀県らしく飛び出し坊やがお出迎え。
大炊神社の脇に登山口がある。ハイカー向けのトイレもあり、縦走の
スタートとしては雰囲気の良い所。比良山縦走というと普通は、南か
ら北へ、つまり権現山から武奈ヶ岳を経て蛇谷ヶ峰へ向かう人が多い。
だが今回は駅からのアプローチが近いことを重視して、近江高島市の
音羽からのスタートを選んでみた。所謂リトル比良と呼ばれる部分を
まずは歩く事になる。中央の石柱には「右 嶽詣道」と刻まれている。
シダ藪の中を、水流で掘れた粘土質の道を登ってきた。湿気が多くて
視界は効かない。安曇川の扇状地から琵琶湖が見えている。この時期
に歩こうと思ったのは、梅雨が明けてしまうと暑さが厳しくなるから。
白坂という奇観が見えてくる。立ち寄っていないので良く分からない
が、砂場ではなく風化した岩場のようだ。見えている以上に広い範囲
に露出しているので、此処を目標にハイキングに来るのも良いだろう。
持って来た昭文社の地図は昭和55年版。「岳観音」と記された所は
古い瓦が散乱しているだけとなっていた。ただ前後には古い石段道が
残っている。此の辺りで雨が降り始め、やがて本降りとなってしまう。
岳山頂上、11時28分。傘をさしては来たが、下半身がびしょ濡れ
になってしまう。雨合羽は持っていない。着たところで蒸れて結果は
同じと思っている。ところが後々靴の中が濡れた事で難儀してしまう。
岩阿沙利山(686m)、12時30分。山頂自体は樹林に囲まれて
展望はないが、西側に巨岩があり上に登ると蛇谷ヶ峰が望める。この
時は晴れていた。行動食の鈴カステラを食べて小休止。水も沢山飲む。
前方に見えるのは釈迦岳だろうか。かなり遠くに見えている。水はま
だ2リットル持っている。行ける所までいってビバークすればよいと
思っているので焦ってはいない。そもそもコースタイムも調べてない。
滝山辺りで道標がある。近江高島駅まで約5時間と記してある。時刻
は14時22分なので、おおむねコースタイム通り。足の遅いハムと
しては上出来。だが歩いていて展望も変化も無くて、全く楽しくない。
寒風峠、15時53分。名前から風の吹き抜けるような所かと思って
いたが、無風でじっとり暑いだけの場所。岩阿沙利山からヤケ山まで
の間が、結果的に一番退屈だった箇所。展望も無く林相も特徴がない。
姿も見ないし鳴き声も聞かないが、鹿が樹皮を食べた痕跡。此処か
ら先は沢山見ることになる。好みが有るようで特定の木しか咬まれ
ていない。意外だったのは杉の木は、一本も被害にあってないこと。
ヤケ山には15時28分到着。曇り空だが暑い。かなり疲れてきた。
前方に見える釈迦岳(1060m)へは、標高差300m登らねば
ならない。足取りもかなり遅くなってるし、何処まで行けるだろう。
比良山は沢や山スキーで何度も訪れている。だが、あくまでゲレンデ
としての対象でしかなかった。降雪地域にもかかわらず標高にふさわ
しい林相に欠けている。山稜も険しい渓谷を抱く割には全体に平凡だ。
釈迦岳17時06分到着、ヤケ山からの区間は標高差の割に楽だった。
明るい内に水場まで行けそうだ。但し濡れた靴下が原因で足が痛んで
きた。適当に厚手の靴下を履いてきたのだが、靴との相性が酷く悪い。
何だか人工的な平削地に出た。そう昔あったロープウェイからスキー
場への道。比良山スキー場は駅からバス・単線リフト・ロープウェイ
を乗り継いで、 更にスキーを担いで10分ほど歩かねばならなかった。
ヤクモゲレンデ上に到着。もう18時を過ぎている。かつてのスキー
場施設は全て撤去されていた。前方はコヤマノ岳。武奈ヶ岳はガスに
隠れている。薄暗くなってはきたが、まだ広谷まで行くつもりだった。
八雲ヶ原に降りて旧キャンプ場跡地の張り紙が見ると、どうやら此処
での幕営は認容されているよう。てっきり禁止されている思っていた。
こんなに湿原に近くて良いのかと思いつつも、ツェルトを張り終える。