昨夜も何故か寒かった。避難小屋の中で風も吹きこまないし、床が冷
たい訳でもない。下半身が化繊のズボン一枚だったことが原因かもし
れない。着替えもタイツも持っておらず、汗で湿ったままで寝ていた。
野坂岳の避難小屋にお世話になるのは20年ぶり。前回は1999年
11月。岩籠山、野坂岳、西方が岳の敦賀三山を周回した。その時と
変わらない姿に安堵する。避難小屋の周りは綺麗に草刈りされている。
4時過ぎには目が覚めた。5時ごろ出発の準備をしていると、小屋前
を小走りに山頂へ向かう足音がした。平日なのにまさかとは思ったが、
後々の登山者の多さから考えると満更でない。5時45分に下山開始。
三の岳、二の岳と下って、一の岳では登って来る三人組のハイカーと
出会った。その後も一定の間隔でハイカーとすれ違う。いこいの村と
の間だけでも、6組9名。神戸の毎朝登山みたいだけど年齢層は若い。
一の岳以降は道が広くなる。こんな道だったかな。20年前の記憶は
残っておらず、もっと以前の中学校の遠足で来た時の事を覚えている。
当時は藪道で、遠足の前には父兄が草刈りをした。笹の切り株が鋭く
尖っていたことを覚えている。林道からテレビの電波塔に立ち寄った。
今歩いてる道は路傍に笹薮もないし、電波塔にも寄らない。そもそも
全く別の道だと気が付いた。遊歩道と云っても良い道をドンドン下る。
麓の案内図によると昭和62年に、林間歩道が整備されたようだ。遠足
に来たのは、それよりもずっと前だから、違う道を歩いていたのだろう。
いこいの村の駐車場では、まだ早朝の時間帯なのに、出発の準備をする
ハイカーがとてつもない大声で話している。ここだけ時が止まったよう
に昭和の日本人団体観光客の振る舞い。駐車場から数百メートル離れて
もその声は響いていた。どうも福井県の山では昔から良い思い出がない。
いこいの村からJR粟野駅へは旧知の道と思いきや、2014年に開通
した舞鶴若狭自動車道が行く手を遮り、どう行けばよいのかわからない。
こんな所でスマホの地図アプリを起動して、どうにか金山集落に抜ける。
旧国道27号線、桜ケ丘交差点。右手が敦賀連隊の跡地で入口には歩哨台
が現存している。もちろん建物などは変わっているが、50年近く前と
それほど雰囲気は変わっていない。片側一車線で現在は県道225号線。
連隊跡地は公営住宅が並んでいる。自分が住んでいた家は5階建の団地
になっていた。上の写真の市営住宅は当時は平屋と思っていたが、立て
直され古びたのか?。毎日野坂岳を見ながら登ったのは遠足の一度きり。
旧国道27号線を東に向かって粟野中学校のはす向かい。ソースカツ丼で
有名なヨーロッパ軒金山店。当時新開店したので一度だけ食べに行った。
以来45年近く営業してるので、それなりなんだろう。お勧めはしない。
こちらが現在の国道27号線。片側2車線で郊外型のスーパーや飲食店
が数多く立ち並ぶ。敦賀の商圏にこれほどの需要があるとは信じがたい。
昔日、この辺りは野原だった記憶しかない。驚きつつも東へ歩いて行く。
敦賀駅に到着。駅舎自体は左側の小さな建物で変わっていない。右側の
大きな建物に待合室と観光協会の案内所が新設された。CAばりの制服
に身を包んだ案内嬢に、敦賀市内のバスは一律200円と聞かされ驚く。
浦底まで乗っても200円だそうで、三方が岳へ行こうかしばし迷った。
だが蒸し暑い曇り空では又の機会にしようと、京都行の切符を買って又
驚愕1660円て何なんだ。血圧が上がったみたいでクラクラしてきた。