3月14日の木曜日。週間天気予報では降水確率10%。気温は12度。
今週では一番天気が良いと思われた。だが前日になって、予報は変わり
午後から曇りだというが、金曜は別の予定もあるので山に行く事にする。
山芦屋町から芦屋川右岸沿いの道を歩いて、道畔谷に向かう。中俣へは
宝泉水から斜面の踏跡を辿る方が近いが、谷に降りて本谷を遡行して行
く。巨大な航空母艦岩の脇を抜ける。この時は、まだ日光が差していた。
道畔谷第2堰堤を越えると岩場が行く手を遮る。左側が少し濡れている
ぐらいで、水流ともいえない程の少なさだが、此処が道畔谷中俣と右俣
との出合。右俣には治山ダムが聳えている。左隅から斜上し中間尾根へ。
中俣に入っても、すぐに巨岩が谷幅一杯に鎮座していて行き止りとなる。
そこで崩れやすい土砂の急斜面を、左岸へ巻き上らねばならない。それ
なら最初から中間尾根を歩いて、巨岩を越えた後に入渓する方が効率的。
此の谷は2016年12月に歩いているが、けっこう登り応えがあった
ように記憶していた。難しい所はないが不安定な岩が多いので、メット
だけは持って来た。まず風化して崩れ易い2メートル程の小滝を越える。
前半は大岩の転がる河原が続く。ある程度通行する人はいるのだろうが、
踏跡らしきは見当たらない。土も柔らかく岩も不安定なのは、豪雨の度
に、新しい土石が流入しているからと思われる。前方に白い壁が見える。
水流があれば滝なのだろうけど、乾いた岩場が行く手を遮る。なぜだか
狭い間隔でピトンが連打されている。家族はそれに沿って登って行った。
左岸から巻けるが、土砂が不安定で滑りやすい。それなりに注意が要る。
その上流が2年前の状況と一変していた。新しく割れた岩が転がってる
し、倒木も多い。通行に困るような所はなかったが、かなり荒れている。
昨年ではなく、一昨年の台風によるものだろう。本来は谷の中央に堆積
しているはずだが、すんなりと抜けて行けるのは、一年間に谷中央部の
土砂や倒木が流されて歩き易くなったと思われる。前方がやけに明るい。
原因は左岸の土砂崩れだった。この岩場の上に薄く乗っていた土砂が、
樹木とともに流されたようだ。岩場の上には濃密なシダ藪が覗まれる。
崩壊地を過ぎると二俣がある。左俣は藪で進む気になれず、自然に
左岸の岩場に沿った右俣に入る。階段状の岩場で軽快に高度を稼ぐ。
なぜか此の辺りの記憶は余り残っていない。前は岩穴があり嵌りそうに
なったと思うが、そんな場所も見当たりないままドンドン歩いて行ける。
左岸の岩場が低くなり谷幅が狭まる。此処を抜けると急に傾斜が落ち、
遡行は終了する。2度目だったからか、登り応えを感じないまま終わ
った。第2堰堤から荒地山頂までの標高差は、250m程にすぎない。
照葉樹の生える緩斜面の、谷とは言えない窪みを拾って行く。恐らく
右手に進むと、北尾根の道に出会うとは思うが、それでは面白くない。
すっかり枯れた大木。根本は朽ちて細くなっているのに自立している。
山頂東側の平坦地に出る。かつては池だったのではないかと思うほど、
不思議な雰囲気な所だ。普通に荒地山を歩いていると、こんな平たい
場所があるとは気づかない。上の写真で直進したが左の方が良かった。
芦屋ゲートに向かって下る道に飛び出した。目標よりやや右寄りだった。
山頂一帯は馬酔木の花が満開。咲いたばかりの花は白くて意外に可憐だ。
登山道を西に進むと、頂上手前の分岐に辿り着く。背後には道跡があり、
「落石につき危険・立入禁止」と書かれた看板がある。阪神大震災の時
の物かと思う。この道跡は中俣へ続くのではと思うが、確かめていない。
すぐに荒地山の頂上に着く。展望の良い所は沢山ある山だが、山頂は
極めてそっけない。初めて登ってガッカリする人は多いだろう。自分
もその一人。昼食休憩するなら、なかみ山に進むか黒岩の方がお勧め。
我が家のお気に入りは、黒岩下のボルダー。2畳程の広さがある平頂。
登山道から離れているので、訪れる人は少ない。此処で昼食にしよう。
大昔はよく日向ぼっこしたものだが、今日は冷たい西風が吹いて寒い。