摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

甲山(309m)初登頂記

韓国から帰ってきても、まだ外に出ようという気が起きなかった。

だが必要に迫られて、中古自転車を、2800円(防犯登録代込)で

購入した。木曜の午後、天気に誘われて何処かへ行こうかと思う。

スタートは夙川尻。振り向けば海が見える。上流に甲山が見える

のだから迷うはずもないと、地図も持たずに走りだした。ところで、

最近、山関係のブログで、どうにも気になるのが未踏という言葉。

下流は左岸が広くて快適。我々は前人未踏という意味にしか使わ

なかった。新田次郎の「点の記」で「当時未踏と思われていた剱岳

というような使い方で、実際には、ヒマラヤの高峰にしかなかった。

阪急夙川駅前に到着。だが最近は自分がまだ歩いていない所を、

未踏いう言葉で表現する人が多い。これには全くついていけない。

国語の乱れなんていう気は、さらさらない。只、違和感があるだけ。

阪急甲陽線沿いに走ればよいものの、方向が分からず82号線に

入ってしまう。これが大間違いだった。「られる」言葉の論議なんて、

国語学者の売名行為としか思えない。言葉は常に変わって行くもの。

このままでは鷲林寺に行ってしまいそうと気づき、夙川学院北の

交差点で東に向かう道に入る。未踏峰なんてものが、存在しなく

なった現代では、違う使われ方をしても、おかしくはないだろう。

高級住宅街に入ったが、さて甲山はどっちだろう。全く見えない。

違和感というのは、そういう言葉の変化について行けない自分

に対して思うこと。「時代遅れ」と言ってしまえばそれまでのこと。

とにかく高い所へ登ればと思い、上へ上へ登る。19%の斜度って。

自分の頭の中には、甲山の西側に北山貯水池があり、その北側に

北山公園があると思っていた。さて此処は目神山町。って何処なの。

ようやく道標があった。北山貯水池より南西にいるらしい。仕事で

さして若くもない人が、「キンチキン」と言うのが全く解らなかった。

それが「金地金」つまり「金じがね」のことだと知ってとても驚いた。

住宅街の道は最高所に達したみたいだ。大阪方面のビルが見える。

不動産の話で「たちき」と言われた。これは何となく解った。「立木=

りゅうぼく」の事だろう。だが我々が受けた民法の講義では使わない。

坂を下って行くと正面に甲山が見えた。離職に及んだ背景には、

現代用語を理解できなくなったことも、原因の一つにあるだろう。

だから未踏っていう言葉を、里山に使うことに批判は出来ない。

北山貯水池の堰堤下に下りつく。後から思うと西側から回れば、

堰堤上に出れたはずだ。仕方ない15kg以上もあるママチャリを

持って階段道を登る。散歩する人に訝し気に見られる不審者だ。

堰堤に上がると自分の記憶が、いかにいい加減か良く分かった。

貯水池の上に北山公園があると思っていた。だって山は池より

上にあるはず?。帰って地図を見ると、北山公園は南西の下方。

四半世紀前に西宮に住んでいて、早朝ロードレーサーで武庫

川河川敷から仁川沿いの道を、甲山大師まで走るのを日課

していたこともある。だけど甲山の頂上には一度も登ってない。

山登りの装備が十分でないと、これより先は入れないのか。

今日は水や食料はおろか、地図も磁石も、もりろんツェルト

も持ってない。本当は入山禁止なんだね。究極の自己弁護。

充分に整備されている登山道だが、もしも此処でこけて骨折

でもすれば、準備不足なのに入山したことを責められよう。

自転車を停めた所から、10分もかからず甲山初登頂成功。

なぜ今まで登らなかったかも分かった。展望が全く無い。

だが今風に言うと、自分にとっての未踏のピークを制覇した。

って大げさな表現と思う人は、もう時代遅れの老いぼれだ。

下りは甲山と貯水地間の道を下る。中古自転車のブレーキ

は擦り切れているようで、キーキーとやかましい音を立てる。

握力がなくなる。車の買えない者は、平たい所に住みたい。

阪急甲陽園駅から線路沿いに、さらには夙川沿いに下って、

コンセントマーケットでバゲットを買う。しまった無職無収入

なのを忘れてた。でもね久しぶりのバゲットは美味しかった。