摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

「30年前の記憶」・その4・・・釈迦ヶ岳から神崎川へ(2015年5月3日)

赤坂谷の水流は、まだ続いているのだが、もう変化は無さそうなので、

遡行を止めて、道標に従い釈迦ヶ岳へ向う。昼食をした場所からでも、

2時間以上も植林帯の平流を歩いて来た。冗長すぎて飽きてしまった。

稜線近くは植林されておらず、往時の炭焼きの2次林が残っているが、

30年も経つと大木となって、かつての軽やかさはない。下生えの無

い斜面に僅かに昔日を思い出す。変化は植林のせいだけではなかった。

遡行終了点からは、約1時間もかかって、釈迦ヶ岳の山頂に到着した。

初めて登るピークだが、尾根上の突起といった感じで山頂らしくない。

山頂からは東方向だけの展望。伊勢湾が見えるはずだが、ハッキリと

しない。同じ山脈なのに、三重側県と滋賀県側の斜度の違いは大きい。

山頂では休まず、早々に下山にかかる。空は暗く、ガスがまいて来た。

昨日も道に迷ったというのに、今日も碌に地図を確かめず歩き始める。

何だかやけに下るなと思ったら、三重県側の庵座谷に、下ろうとして

いた。頂上は三角点がある場所。最高所は別にあった。摩耶山と同じ。

猫岳への登りから、振り返ると釈迦ヶ岳・松尾尾根の頭が見えていた。

猫岳からハト(羽鳥)峰への道は、庭園風のキレイな尾根道が続いて

いる。曇り空だが左に御在所岳。右には雨乞岳という豪華なパノラマ。

もっと稜線歩きを楽しんでも良いはずだが、すっかり疲れ果てている。

さて主稜線に出てからも誰にも合わない。道の様子から相当の通行が

あるはずだが、5月連休なので皆さんアルプスにでも行ってるのかな。

山頂から1時間半近く掛って、白滝谷への分岐に到着した。小休止し

て下りにかかる。右下の「杠葉尾」と、記された道標が、旧の滋賀県

永源寺町が設置した物で、右上の青い物が、三重県菰野町設置の道標。

滋賀県側に入ると、道は一気に頼りなくなる。源流部の緩やかな斜面

は落葉に隠れて道を失いやすい。稜線から5分も歩けば、水流が現れ、

15分程で沢は、淵を作るほどの水量となった。水の豊かさを感じる。

もう此処は滋賀県内である。本来なら行政区分の異なる菰野町が道標

を設置する所ではない訳だが、いつまでも青い道標が設置されている。

何も整備しない滋賀県側に、業を煮やして越境設置という所だろうか。

やがて暗い杉林の中を下るようになる。かつて苗木も30年も経てば、

大木となった。植林帯を歩くほど、退屈で嫌なことはない。辛い下り。

神崎川本流に下り着く。下流側に古いワイヤーが渡っているのが目印。

かつて野猿(人力の索道)が設置されていた。家に帰って古い写真を

見ると、その頃は搬器の一部が残っていて、家族がそれで沢を渡った。

この渡渉点まで菰野町設置の道標があった。永源寺町(現東近江市

の道標は古く抜けた所もあり頼りにならない。此処から林道に出るま

でも道は細く分かり難い所も多い。かつてに比べて通行は少ないよう。

渡渉点から林道までも、思ったより長く此の辺りでは、もうヘトヘト。

歩みも遅く、明るい内に天場に着けるか、だんだん心配になってきた。

渡渉点から1時間も掛って林道に到着。現在は午後6時。まだ明るい。

永源寺町の警告看板。4つのポイントの内、登山届以外は外してるな。

ほっとした気分で林道を歩き、天場に到着したのは午後6時半だった。

出発から12時間余り行動していた事になる。コースタイムは8時間。