摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

「30年前の記憶」・その3・・・神崎川 仙香谷遡行(2015年5月3日)

昨夜、天場に戻って来たのは午後9時前だった。それから食事を済ませ、

眠りについたのは遅かった。その上、疲労と冷えでか強い痛みを伴って、

何度も足が攣る。余り寝ていないと思うが、午前4時半には目が覚めた。

既に、薄明るくなっていたが、風強く空には雲が多い。予報では今日も

晴れだったが仕方がないな。久しぶりに、米を炊いて朝食の準備をする。

雨に備えテントやシュラフはザックに仕舞い、少し高台にデポしておく。

取水堰堤下から河原に下り下流の仙香谷出合に向う。しばらく水の無い

ゴーロの河原を歩くが、右岸に支谷を見る辺りから澄んだ流れが現れる。

仙香谷出合が近づくと巨岩が幾つも河原に転る。岩の隙間を潜って行く。

これから遡行する谷は下流部は仙香谷と呼ばれ、二俣から上は赤坂谷と

呼ばれている。神崎川の支流の中でも、一番大きく水量豊富な谷である。

出合付近の水流が轟音を立てているのは、林道からも良く聞こえている。

昨日カラト谷をツメカリ谷と間違えたのは、摩耶山ばかり登っている為、

自分の沢に対する見方が矮小になっていたのだろう。水量の多さに驚く。

この谷も1度だけ歩いている。難しい部分が有ったという記憶は全く無

いので、沢用の装備はシュリンゲ3本とメット、フェルトシューズだけ。

撤退の必要が生じても、両岸とも険しく無いので尾根に逃げられるはず。

全て30年前の記憶。ところが2m程の被り気味の岩を乗越すのに手こ

ずる。家族は残置ピトンでA0で抜けたが、ハムはシュリンゲを使いA

1で何とか越えた。元より腕力が無いのに体重は昔よりも15kg増し。

次の小滝は流れの左を越す。リーチの短い家族はホールドに手が届かず、

苦労していた。確かに30年前の自分達にとっては難しく無かったろう。

だが老い衰えた今は、この谷でも容易では無くなってきと今さら気づく。

渓相については全く記憶にない。ただ覚えているのは滝を越えると、飯

場小屋のオジさんとオバさんが、仲良く淵に向かって釣りをしていた事。

源流部は両岸の石楠花の間を、白砂の平流が延々と続いていたという事。

鈴鹿は蛭(ヒル)の多い所で、例年5月の下旬から9月まで、雨の日に

歩いていると、上からポトポトと蛭が降ってくるぐらいだった。その為

入山するのは5月連休までと10月以降が多かった。今はどうだろうか。

岩の白さと澄んだ水流は変わら無い。ただし両岸に植林帯が迫って暗い。

大きな滝も無く巨岩のゴーロが続くこの沢は、昔も歩く人は少なかった。

中庄谷直氏の「関西周辺の谷」でも全く触れてなく、不人気ぶりが分る。

ゴルジェの出口に、両岸の立った滝が現れた。こんな滝もあったろうか。

泳いで取りついても、我々が越すのは難しそう。巻き道を探してみよう。

右岸にルンゼとリッジがあって、どちらも巻き道に使えそうだが、少し

でも小さく巻きたいとルンゼを登る。だが岩が極端に脆く上部斜面には

立木も少ない。途中からリッジに逃げると、更に上に巻き道がが有った。

滝を越えると、ゴーロの平凡な河原に戻る。右岸から支流が入って来る

が、これは二俣ではない。沢登りの醍醐味が、滝の登攀にあるとしたら、

此処は退屈な沢に違いない。植林帯に覆われた今は林相の美しさも無い。

右岸が大きく山抜けしていて、杉の倒木が大量に水流まで落ちて来てい

た。こんな風景を各所で見る。ここ数年、台風による大雨が多いせいか。

まだ9時過ぎなのだが、お腹が空いてきた。かつてオジさんとオバさん

が釣りをしていた所で、食事休憩したいと思うが、その場所が分らない。

家族もその事は覚えていたが、それはツメカリ谷だったとか言いだした。

ゴーロ歩きに飽きた頃、二俣に到着する。右側が赤坂谷と呼ばれている。

見上げると山桜が、まだ花を付けている。ミツバツツジも開花し始めだ。

摩耶山と比べると一か月は季節が遅いよう。でも気温と水温は低くない。

赤坂谷に入ると一気に両岸が開け明るくなった。時折、日も差している。

上流に向かうにつれて、岩が再び大きくなってきた。両岸には落葉樹が

残してあるかのようにも見えるが、単に岩が多く植林が難しかっただけ

で、残念ながら此の先、河岸が平たい所は流れの際まで植林されている。

二俣からここまでは、ゴーロの河原が続いたが、また小滝が現れ始めた。

何故か渓相が変わったよう。小滝が連続する。斜上するバンドが楽しい。

谷筋いっぱいに岩盤が広がる斜瀑が現る。長さは50m以上あるだろう。

水量はまだまだ減じない。ところで何故、赤坂谷という名なんだろうか。

また滑(ナメ)が現れてきた。苔が生えずに白い岩肌を保っているのは、

何かの鉱物質が、水に含まれているからだろうか。摩耶山の岩も花崗岩

なのだが、茶色や黒い苔に覆われている。さて無性にお腹が空いてきた。

まだ10時半だが平たい所を探して昼食にしようと思う。此の先は長い

平流が続くはずだ。両岸とも平たくて植林された杉が目立つようになる。

簡単に昼食を済ませて再び遡行を開始する。河床に白砂が溜まり始めた。

この谷は鈴鹿の中でも初期に入渓した。それ以来、ずっと再訪したいと

思い続けていた。なぜなら源流部を、最後まで詰めてみたかったからだ。

記憶では石楠花の森の中を、河床に白砂溜まる平流が延々と続いていた。

その時は、稜線まで出てしまうと野営地に戻るのに、大幅に時間が掛る

ので、植林小屋で遡行を打ち切り、尾根を越え隣のカラト谷を下降した。

だが、かつての石楠花の森はなくなっていた。写真を撮るのも嫌だと思

われる杉の植林しかなかった。鹿除けのポリテープが巻かれ醜悪な景色。

保水力の無い杉林により、押し流されたのか河床の白砂も僅かしかない。

石楠花の木も、まばらに残るだけだ。記憶は間違っていたのかとも思っ

たが家に帰って古い記録を読み返してみても、この谷の記憶だったはず。

源流部は伐採されてないが、種子が飛来したか杉の幼樹が自生している。

水流はまだまだ続いているが、三重県の設置した釈迦岳への道標を見て、

もう遡行を止めようと思った。30年も経って仙香谷を遡行出来たのは

嬉しくもあり充実感もあったが、やはり、昔日の美しさは失われていた。