摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

寒谷北尾根を下り、中腹から寒谷を遡行する

3月21日は春分の日。天気予報は晴れ。気温も19度まで上がるという。

すっかり春の陽気だ。第3土曜日なので、リュックサックマーケット開催日。

ケーブル・ロープウェイも混み合って、始発からピストン運行しているよう。

今日は家族がリュックに出店するという。掬星台まで一緒に上って別れる。

岩の丘から寒谷北尾根を下って行く。藪にヘビの抜殻が掛っていた。

普通は岩の上等で見つけるものだが、鳥が咥えて運んだのだろうか。

北側に見えるのが例の岩塔。此処からは、少なくとも2本の沢を

挟んでいる。距離は100m程だろうか。いやそれほども無かろう。

中腹の岩場を下る。木曜に降った雨で岩が湿っていて滑りやすい。

要所に新しくクレモナロープが取りつけてあり、つい頼ってしまった。

岩場の下はプラトーである。此処には架線場だった痕跡がある。また、

一段下には平削地もあり、飯場があったのではないかと推測している。

此処から、例の岩塔へ斜上できないか。それを探るのが今日の目的。

それは20mほど進んで無理と分った。時間にすると2・3分で失敗。

急斜面なのは分かっていたが、浮いた岩がとても多い。また立木の

多くが、朽ちていて手掛かりにならない。すぐにあきらめて撤退する。

ならば何処に行こう。以前コメントで、寒谷の事を教えてもらった。

行ってみよう。プラトーから南へ切り開きがある。ブルーシートが、

放置され猪が寝床にしている。何の為か、それほど古い物ではない。

切り開きは、急峻な小沢までは明確だ。その先も道跡があるような。

上の写真で光の当たっている部分がそれ。先ほどの北斜面に比べ、

此方の南斜面は、立木も岩もしっかりしている。同じ尾根で随分違う。

トラバースして行くと、足元に沢音が聞こえ難なく川床に降り立った。

ゴーロの河原だが斜度があって、少し下には小滝か何かあるらしい。

此の場所はダムの真下。降りては来たが、また登り返さねばならない。

寒谷には少なくとも5基はダムがあるはず。その何番目か分からない。

これらのダムの建設時に、先ほどのプラトー飯場があったのだろう。

ダムの上は、ゴーロの河原が続く。とはいえすぐに次のダムが現れる。

次のダムは右岸を乗越す。兵庫県が建設したもので治山ダムという。

治山ダムの嫌な所は、個々のダムに名前がないことだ。作った後は、

どうやって管理しているのかな。という訳で、この場所を特定しにくい。

この治山ダムを越えた所で、南尾根側から小沢が流れ込んでいた。

寒谷南尾根への、登路に使えるかもしれないので、記憶しておこう。

ダム上の堆積地を過ぎると、短いがナメがある。花崗岩で明るい。

その上は、水流が溝を穿って流れている。紅葉の頃は綺麗だろう。

そのナメも長くは続かず、また治山ダムに遮られる。左岸を越える。

ダムの上は二俣になっている。右俣には小滝も見えるが、今日は、

本流と思われる左俣を進もう。土砂崩れで谷が埋まり伏流となる。

ここに新しい靴跡があった。今日、どなたか先行されているようだ。

また治山ダムがある。これで4基目だ。もう流れはないのに大きい。

このダムを越えると、ツバキの密林が現れる。後は淡々と登るのみ。

やがてゴミの散乱する斜面に行き着く。此処は見覚えのある場所だ。

オテル・ド・マヤのジャグジー下である。右手に登れば岩の丘に出る。

掬星台を望む岩の丘に到着した。今日は此処で昼ごはんにしよう。