摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

杣谷の支流を詰めて長峰山頂へ登る。

5月13日の日曜日。六甲線一四鉄塔のある尾根の、南側の支沢を詰めてみる。

この谷は短いし、谷中に少なくとも、3基の大きな堰堤があるようで、遡行価値は

無いものと思っていた。ところが4月27日に、尾根上の架線場跡から見下ろすと、

3番目の堰堤の下に、岩盤の発達した河床があるようなので、登ってみることに。

杣谷道に入ると、道沿いに延々とモチツツジが咲いている。葉が多いことや、

咲き終わった花が茶色く枯れたまま残っていたりして、写真になりにくい花だ。

杣谷道をかなり上まで歩き、入渓点はここ。木の袋谷出合の数十メートル手前。

大袈裟な沢支度は、恥ずかしいので、登山者をやり過ごしてから、用意を始める。

ハムはフェルトシューズ。家族は地下足袋にポリわらじ、という足ごしらえをする。

入渓すると、すぐに小滝群が迎えてくれる。左から右へ斜上し、流芯の右を登る。

次は、流芯の左手を登る。フェルトシューズがよく滑る。わらじが良いのだが、

高くて買えない。耐久性の良いポリわらじを使っていたが、もう手に入らない。

次は、流芯の左側、苔のついた緑の部分を直上する。左側を巻くこともできる。

ここはどこを登ったんだろう。覚えていない。たぶん左側。水がとても冷たい。

最後の小滝は、ハングしているので諦め、あっさり左側を小さく巻き上がった。

昨日は冷たい北風が吹いていた、そのせいか水温低く、指先が冷えて痺れる。

最初の堰堤、もっと苦労するかと思ったが、左手を難なく越すことができた。

季節的にまだ藪がそれほど濃くなく、蜘蛛の巣も張っていないからだろう。

各々の堰堤上は、土砂が堆積している。しばらくは平凡な川原歩きとなる。

堆積地を抜けると、沢筋が直角に北へ西へ、2度屈曲する面白い地形となる。

次に何が現われるか、沢登り独特の面白みだが、実際は岩屑の散乱した河床。

砂防ダムが無ければ、此処も岩屑も留まらず、滑床だったに違いないとは思う。

2番目の堰堤も左側を越える。堰堤上に、トゲのある藪があって通過に一苦労。

二俣があったが、水量の多い左俣を進む。此の辺りの記憶は、あまり定かでない。

この堰堤上にも堆積物の河原があるが、しばらくで先日、架線場から見た滑床。

水量は少ないが、緩やかな滑が数十メートル続く。その奥には3番目の堰堤が。

両岸の尾根も低く明るい谷筋。河床は色の薄い花崗岩で、楽しく歩いて行ける。

3番目の堰堤下には、大きな山椒の木があった。摘むと香りがとても強い。

此の堰堤も、左側をなんなく越えた。対岸には六甲線一三鉄塔が見えている。

此の谷には、堰堤は3基かと思っていたら、4番目の堰堤があった。おや?。

上方の排水溝に何かあるみたい。望遠で写してみたら、大きな蜂の巣だった。

岩屑の詰まった沢を登ると、たぶん最後の二俣が現われた。ここで痛恨の過ち。

今までの、全ての二俣は、左側を選んできたというのに、ここでは倒木があって、

通過しにくそうという軟弱な理由で、地形もよく考えずに、右俣を選んでしまった。

右俣はすぐに、Ⅴ字形のルンゼになる。傾斜は緩やかで、岩さえ固ければ楽しそう。

だが、大きな浮石が多くて落石を起こせば、間違いなく後続者に当ってしまうだろう。

用心して一人づつ抜けたが、新たな岩場に行く手を遮られる。右隅を登れないかと、

家族を先行させるが、なんだか苦労している。どうも無理みたいで、右へトラバースし

尾根へ逃げた。続いて登ってみるとホールドになりそうな岩塊が、今にも剥離しそうだ。

やはり、右手の急な土の斜面を斜上して、支尾根に逃げ登る。主稜線へはもう一登り。

登り着いたのは、こんなところ。天狗塚から北へ一旦下って、登り直した辺りだ。目標は、

もう一段北側へ下った鞍部だった。椿の多い所で、季節には落下した花で真っ赤になる。

西側の斜面も緩やかで、藪も少ない。やはり最後の二俣は、左俣を登るべきだったのか。

(この記事における左右は、上流に向かってのもの)