摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

落葉の大文字山(465m)

我が家にしては珍しく早起きする。大文字山なのでそんなには時間も

掛らないが、折角の京都なんだし気の利いた食堂でランチを頂きたい。

阪急西院駅近くの西大路四条バス停から京都市バス203系統に乗車。

銀閣寺道のバス停には8時過ぎに到着。どちらかというと繁華街から

離れるバスだが、ずっと通勤通学客で満員。この先に観光客が戻ると

どれほど混雑になるのだろう。冬の低い朝日が差し込む白川疎水通り。

今年1月22日に北面を歩いているが、下生えのない落葉樹の疎林が

とても好ましかった。紅葉の時期には少し遅いと思うが行ってみよう。

前回とは違った道を歩きたいと、中尾城址への取り付きをやり過ごす。

一般的な大文字火床への道を右に見て、少し進むと大きな堰堤がある。

衣服の調整をしていると後ろから来た空身の人が、対岸へ渡って行く。

我々もと追ったが誤りだった。実は背後に取り付きがあったみたいだ。

堰堤の上に出たのは良いが左岸には道はなく、右岸に良い道が見える。

小さな流れを強引に渡って道に出た。ところで先に行ったオジサンは

何処に行かれたんだろう。編みの目のように脇道が沢山ある大文字山

暫らくは針葉樹の植林帯が続く。ヒノキのように思うが確かではない。

ほんの数分歩くだけで右岸に落葉樹が現れる。下生えの無い涼やかさ。

これから向かう大文字山北面の谷と変わらない。あくまで緩やかな道。

谷のどん詰まり。すぐそこにスカイラインが見える。きっと中尾城址

からの道が通ってているはず。クマ鈴を鳴らしながら人が下りて来る。

この山は姿は見えなくとも常に人の気配が感じられる。まだ空は青い。

峠状の場所に着いた。中尾城址から大文字山頂上に向かう道。東西の

谷へ下る道の四差路となっている。堰堤から15分の道のりであった。

北面の谷へ入るには最も効率的な道だろう。歩きがいの無い感もする。

峠にある私製ベンチで一休み。でも座ると寒くなってすぐに歩き出す。

南へ進むと分岐が現れる。右側は頂上へ至るのだろう。左の道へ入る。

尾根を巻きながら緩やかに東側の谷へ下って行くようだ。たぶんそう。

家族は積もった落ち葉を見ると、必ずチャーリーブラウンの話をする。

掃き集めた落ち葉にダイブするのが大好きとか。もう何十回聞いたか。

斜面から東向きの支尾根を下り、やがて浅い谷状の地形を下って行く。

中尾の滝の巻き道に下り着く。ほんの少し下流方向へ転じて滝の下へ。

こんなに小さかったなと呟く家族。夏季なら一休みしたい所だが寒い。

元の道へ戻り上流へ進んで行く。無用なテープマーキングが目障りだ。

二俣が現れて道は右俣へ進んで行くが、左俣の方に水流が残っており

遡行するとどうかなと心残り。それはさておき此処から尾根に転じる

までがハイライト。鈴鹿山脈の源流域を思わせる様な明るい谷が続く。

谷が左へ屈曲すると広い台地が現れる。この一帯はモミジの木が多い。

もちろん原始林いや自然林のはずもない。それなりの理由があるはず。

小屋掛けするのに良い場所と見回してみれば、思っていた跡があった。

炭焼き窯跡である。思いっきり想像を膨らませるとこうだ。消費地

近いこの山でも昔は炭焼きが行われていたはず。しかし近代になって

交通が発達すると、大生産地の滋賀県に価格競争で敗れ廃れてしまう。

そこで本来コナラやカシの木が原料だが、イロハモミジを原料として

風雅な高級品を作ろうとした痕跡ではないかと考えた。しかしながら

帰宅後に調べても、そのような炭の存在を示す物もなく的外れのよう。

谷が狭まると道は右岸の斜面を辿る。途中に山抜けした所があったが

丁寧に修復してある。熊手の跡も新しい。きっと毎日清掃されている

のだろう。テープやペンキで山を汚すのとは次元の違う道の示し方だ。

支尾根に乗った道は、やがて斜面を横切って源頭状の凹地に回り込む。

振り返ると比叡山が見える。此処までの道のり出会ったのは10組程。

平日も人気の山である。植林帯の急登を抜ければ頂上広場に飛び出す。

前回あった私製山名板が無くなっていると思ったら、菱形基線測点に

型抜き文字がスプレーペンキで描いてある。まあこれも一種の落書き。

京都市が山名碑を建てても良さそうだが、公設道標の類も山中に無い。

時刻は10時ちょうど。天気予報によると冬型気圧配置で府北部は雨。

中部は晴れのち曇りとか。歩き始めは青空だったのに曇り空となった。

気温は8度を示している。風は弱いけど座っていると寒くて仕方ない。

パラダイス感があり余り好きでない頂上。眺望も火床からの方が良い。

食料類は何も持っていないので、水だけ飲んで早々に下ってしまおう。

今年1月に有った火床を示す、小さな黒い私製道標が無くなっていた。

観光ハイカーの多い山なので有っても良いと思っていたが、いろんな

考えの人がいるのだろう。北面のテープマーキングも新しいのが多い。

剝がす人あり、貼る人ありの繰り返し。ペンキだけは勘弁してほしい。

毎回思うが市外から見上げるよりも火床の位置は低い。下って行けど

なかなか着かない。地図を見れば一目瞭然だが記憶は書き換えられず。

20分近くたった頃に、ようやく前方が開けて大の字の一番上に出る。

大の字中心部の金尾(かなわ)から三画目を下ってみよう。南の流れ

というらしいが、今までは北の流れという二画目しか歩いた事がない。

文字だと同じだが、直線的で急峻な二画目に比べるとかなり緩やかだ。

厄除けや無病息災のご利益があるという消し炭。本当は8月17日に

拾いに来るものらしいが、まだ残っているので一欠片だけ頂いて帰る。

絹地のように艶やかで光沢のある炭。相当に良い材木が使われている。

下って来た三画目を見上げる。最後のはらいの部分が平坦だったので

金尾辺りが混雑する時は休憩にも使えそう。この後も歩いた事のない

法然院に下るつもり。やはり道標はないが西側に下る道を探し当てる。

尾根から暗い谷筋に入り法然院墓所に出る。逆コースだと登山口と

気づき難い所だ。境内を拝観して行こう。入って来た山門を振り返る。

左右の白砂壇(びゃくさだん)には、モミジの葉が一枚描かれていた。

法然院は境内の苔が特に美しい寺。季節を問わず訪れる価値があろう。

行事の無い限り本堂までの参道は無料で開放されている。哲学の道

混雑する桜の時期もこのお寺は静かだ。境内西端からは市街も見える。

此処で今日の散策は終り、銀閣寺道から市バスで四条烏丸に出ようか。

そう言うと家族に歩けるんじゃないと指摘される。まだ11時20分。

歩いても室町仏光寺界隈の食堂のランチタイムに十分間に合いそうだ。

大通りを歩いてもつまらない。ついでと言ってはなんだが真如堂にも

寄って行こう。紅葉にはもう遅いだろうが、敷モミジはまだ見頃かも。

東大路から住宅街を南西に向う。門前の大木が葉を残してくれていた。

やっぱり今年は色づきが悪いかな。オレンジ色や黄色い葉がほとんど。

立派な三重塔だけど紅葉と上手くフレームに納められない。境内には

一般観光客より大きな望遠レンズのカメラマニアの姿が目立っていた。

本堂裏の敷モミジも例年より明らかに色づきが悪い。真紅にほど遠い。

それに葉も痩せているようで落葉の層に厚みがない。全般に不作の年。

心なしか参拝客も少ない気がする。それほど時間もなくて足早に回る。

真如堂(真正極楽寺)からは、金戒光明寺へ通り抜けることが出来る。

塀が有るわけでもなく境界も曖昧だが、犬の散歩についてのポリシー

が両寺で異る。真如堂は暫定的に可で、光明寺には禁止の看板がある。

南側に進むと光明寺墓所の最上段に出る。遠くまで見渡せて意外に

標高の高い所に居ると気づかされる。道なりに下って行くと聖護院前。

東大路通の京大附属病院の辻脇に良さそうな食堂があった。計画変更。

日替わりランチ995円の看板に惹かれた。普通の食堂だと思ったが

相当な高級店であった。隣席の方々は4900円のステーキランチを

頼まれていてビビる。もっとも我々のメニューも美味しくお得感満載。



五山の送り火の思い出話。人混みが嫌いなハムは一生見る機会は無い

と思っていたが、予約サイトと見てたら屋上から観覧できるホテルが

非常にリーズナブルな値段を出していて、思わずクリックしてしまう。

当日は夕方になって激しく雨が降り始め、一時は点火も危ぶまれたが

8時前にはピタリと止んだ。本来の順番とは異なり妙法や左大文字が

先行したが大文字も無事に灯された。不信心ながらも感動してしまう。