摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

東福寺から稲荷山(233m)の裏道を廻る

伏見稲荷の南側にある七面山を歩いた際に、対岸の山腹に竹之下道と

名付けられた歩道を地図で知る。機会を見て歩きたいと思っていたが、

意外に早く訪れる事になった。要するに他に行く所も無くて暇なのだ。

烏丸高辻の宿を出て因幡薬師に寄る。碁盤の目のような京都の街では

異色な路地が有る。その後は東洞院通りを下り七条大橋で鴨川を渡る。

南西に見えるのが稲荷山だろうか。地図を見る限りそんなに遠くない。

鴨川左岸で東海道本線を潜ろうとしたら、京阪特急が突然に通過して

ビックリする。そうか此処で地上に出るのか。新幹線と京阪線が直角

に交差するとは面白いな。ちらと昔の阪急今津線を思い出したりする。

高架を南に潜った所で新幹線と京阪電車の揃い踏み。それはさて置き

伏見稲荷というと電車に乗って行くイメージだったが、改めて地図を

見ると、四条烏丸からでも十分徒歩圏内。直線距離にして4kmほど。

稲荷山を周回するつもりで起点は東福寺にした。此処はまだ東山区だ。

今年になり京都の観光広告に「青もみじ」なる言葉がよく使われると

気がついた。新緑より季節に幅があって旅行業者には都合が良いよう。

しかし既に緑が深まった葉に、そんなネーミングが値するのかどうか。

すでに此処は東福寺塔頭が立ち並ぶ境内地。それでいて近所の通行

に使わている道で通り抜けできる。左は虚無僧の本拠地である明暗寺。

洗玉澗に架かる臥雲橋から通天橋を望む。ちょうど和装の新郎新婦が

並んでいる。屋外での結婚式の前撮りって、20年前ぐらいの中国で

見かけて随分奇異に思ったが、今は日本でも普通の光景になっている。

東福寺の南側を回り込み山に向けて歩いて行くと、深草車阪町という

高級住宅街に入る。敷地が広く瀟洒な御屋敷ばかり。しばらくで前方

に覚えのある場所が見えてきた。稲荷山の四つ辻から下ってくる道だ。

此処は2年前に京都一周トレイルの一部を歩いた時に一度通っている。

トレイルはこの下で小さな流れを渡り北に向う。先程臥雲橋で渡った

洗玉澗の上流にあたる。今日はその谷を遡って稲荷山の東側から歩く。

ところで神社仏閣に通じる道は、表であれ裏であれ参道と思っていた。

広義ではその通りだろうが京都を色々歩いていると、その道やその山

は当社とは一切関係ありませんなどと、強く否定されている事がある。

今日歩く上り下りの道はどうなんだろうか。とりあえず大きな鳥居が

あるので公の裏参道かな。軽トラックが通れる位の道が緩やかに続く。

グーグルマップでは緑色の破線で描かれていたので歩道と思っていた。

帰ってから地理院地図を確かめると二重線で描かれている。前方には

黄緑色の若葉を湛えた大樹が見える。何という木だろう。市内からも

鮮やかなドット模様が、東山の山腹に見えていたので気になっていた。

休憩したくなって車道から外れて、河原にある行場に降りる。石段に

座り込む。前の小屋には勤番所なる看板があるが、20年前から無人

であるとも。しかし稲荷大社直轄の施設である事に間違いないようだ。

大岩山から七面山へ歩いた時、「瀧」という宗教施設と民家がセット

で点在する様子に興味をひかれた。此処もこの奥に滝行をする場所が

設けられている。だが自然の滝ではなく人工的に造成された物らしい。

清滝からは車道に戻らず左岸の歩道を進んで行こう。「瀧」について

詳しいサイトがあり以下その受け売り。稲荷神社は平安時代に隆盛し、

鎌倉時代神仏習合が進むが、明治元年廃仏毀釈により姿を変える。

山中にあった御堂や仏像は破壊され、同4年官幣大社に格付けされて

従前の稲荷信仰や神仏習合は俗信として全否定される。それに就いて

いけない信者達が、稲荷山の周辺に「塚」や「瀧」を私設するに至る。

ずっと緩やかな道を歩いていると、簡単に御膳谷奉拝所に出てしまう。

いわゆる山上巡りの一角でである。右へ行けば展望のある四つ辻だが、

前回とは逆向きに歩きたかったので、左から頂上を目指すことにした。

あっけなく稲荷山頂上の一ノ峯に着いてしまった。本殿から千本鳥居、

四つ辻を経て来た時は疲労困憊したが、この違いは何だろうと考える。

表参道は見所というか拝所を廻る為に、必要以上に長い道のりなんだ。

頂上は三角点も山名標識もないが、写真測量の標高点233mである。

大岩を祀った塚が最高所。よほど聞く人が多いのか石段下に「向かい

売店に確かめなくても此処が頂上です。」という看板が置いてある。

一ノ峯から御膳谷方向へ少し戻り、立ち並ぶ鳥居の隙間から南側へと

下る道に入る。これは公の参道と言えないだろう。しかも道標にさえ

行先が記されてない。かといって杣道でもなく先では土留階段が続く。

やがて眼下に大きなトタン屋根が見えて来た。何となく南アルプス

山小屋を思わせる風景で足が止まる。実は末広瀧という拝所であった。

大規模な「瀧」だが柵を設けて、信者以外は入れないようにしてある。

この下でご近所の方から「野イチゴが沢山生ってるよ!」と言われる。

知らないと思われたか「甘いよ」と食べても見せて下さったりもする。

貰っても良いかと伺うと「大きくて綺麗なのだけ採りなさい」との事。

その方にも手伝ってもらい50粒ほど集めた。この後には木イチゴが、

冬には冬イチゴもなるそうだ。適度に草刈りされている環境が生育に

適しているんだろう。夜に冷やして食べたが爽やかな甘さで美味しい。

本当は「瀧」の事も聞いてみたいと思うが、この時は予備知識もなく、

下手な事を言ってもと遠慮してしまう。白菊の滝、七面瀧と谷沿いを

一緒に下って、その方の仕事場前でお別れする。三叉路を右手に入る。

この道が稲荷山の山腹をトラバースする竹之下道。稲荷大社へ一本道

だが此処も公の参道ではなかろう。この道を使って大社へ詣でるのは、

主に官幣大社からすると否定すべき俗信の「瀧」の信者達なのだから。

竹之下道沿いにも青木の瀧、弘法ヶ瀧がある。見る限りでは稲荷大社

の境内と変わらない。「瀧」は山中の「塚」を詣でる信者が水垢離や

滝行場を求めて、明治20年ごろから大正末にかけて造られたという。

現在も稲荷山周辺に30の「瀧」があり、そのほとんどが有住である。

宗教的な事には関心はないが、山における登山道の成り立ちを考える

意味では大いに興味がある。竹之下道の私設標識はなぜだか英語表記。

私有地が交錯するようで道自体は数十メートルごとに雰囲気が変わる。

地道、舗装路、ブロック敷。管理された遊歩道のような統一感は全く

無いが、何よりも人が少ないのが良い。散策する観光客がチラホラと。

やがて伏見神宝神社という立派な神社が現れる。稲荷大社の摂社かと

思ったが独立した神社らしい。平安時代に創建されたがその後荒廃し

昭和になって再建されたとか。帰ってから調べてみるが判然としない。

水平だった道が下るようになると、やがて稲荷大社の境内に下り着く。

ちょうど根上り松がある所。いきなり大勢の観光客の中に飛び込んだ。

特にタクシー運転手に案内されている四人一組の修学旅行生が目立つ。

運転手の案内に聞き耳を立ててみるが、中学生の興味を引き続けるの

は難しいだろう。タクシー会社のサイトによるとワゴン車を6時間の

貸切で4万円前後。何故か下り方向は空いてる千本鳥居を抜けて行く。

本殿までは下らず奥社から、北側の住宅街を抜けて行き東福寺に戻る。

見上げる三門は室町時代の再建とか。その向こうの本堂もさぞかしと

思ったら昭和9年の築だそう。ベンチがあったので休憩させて貰った。

再び臥雲橋を渡って北側ヘ進む。違う道を歩いてみたいなと思ったが、

此処を通らない場合は、狭隘なバス通りとして有名な奈良街道へ出る

しかない。それも嫌なので往路とほぼ同じ道のりで市街に戻って行く。

新幹線の高架まで同じ道だが、西側に陸橋があったので渡ってみよう。

男児が爺さんと列車を見ている。京阪電車と新幹線が同時に通るのを

暫らく待つ。京都タワーの近くに泊まるがチェックインにはまだ早い。

参考にさせて頂いたサイト 

稲荷山の「お滝」について ttps://myagi.jp/ja/html/travel/travel0z.html