京都に向かう途中に何処か歩こうと思うが、そんなに都合の良い山は
幾つもない。それで大昔に一度歩いた太閤道を思い出した。記憶では
ごく普通の里山だが、阪急京都線から便利な位置にあるのが選定理由。
そんな訳で阪急高槻市駅で下車する。立派な大学の建物や病院の並ぶ
様子にキョロキョロ。それだけではない。15分歩いて安満遺跡公園。
その広大な敷地や垢抜けた施設に驚愕する。高槻市のイメージでない。
ごく最近に整備されたようだが、鉄道駅から至近によくこんな場所が
あったものだ。帰ってから調べると京大の農園の移転した跡地だとか。
公園の北端からJR線を潜って、農村風景の残る住宅街を抜けて行く。
太閤道は谷沿いの金龍寺を経由するようだが、展望が期待できそうな
市営公園墓地から廻ろう。墓地は山塊の南斜面に広がる。市営バスも
運行されている車道をぐるぐる歩いて行く。とても立派で広大である。
更に高槻市に対する印象を改める。公園墓地上端から悠久の丘を示す
道標に従って進むと眺望が広がる。単に擁壁の上で展望台ではないが、
大阪から京都方面まで見渡せる大展望だ。各自クッキー1枚の小休止。
展望所から高圧鉄塔の脇を抜けて行くと、運動器具が疎らに点在する
園地に出た。此処が悠久の丘だろうか。ベンチの先には山道が見える。
今から30年前の事、よく一泊二日で近場の山を連続して歩いていた。
それは交通費の節約もあったのだが、低山一つでは歩き足りなかった
からだろうと思う。ポンポン山の帰りだったか夜遅くに太閤道に来た。
暗い山道をヘッドランプ頼りに歩いていたので、記憶はほとんどない。
やや荒れた雰囲気の森が続く。老化した木が多いようで、倒れかけて
他の木に擦れるのかキーキーと音がする。それが1本や2本ではない。
これが夜だったら不気味だろうな。30年前はそんな音はしなかった。
おや々何やらパラダイスらしき所に出た。しっかりした白いベンチも
手作りのよう。色々なものを使った植木鉢が並んでいる。それも正月
バージョンのようで、葉牡丹や門松を模した活け鉢まであったりする。
山の中の人工物については否定的に思っているが、意識的に造形物の
数が抑えられ、過度にならないように配慮されている。おそらく毎日
清掃されているのだろう。ベンチの周囲は非常に清浄に保たれている。
穏やかな尾根道を歩いていくと金龍寺への分岐に出会う。ここからが
太閤道となるのだが、それを表す道標は僅かであり、ましてや案内板
などは全く無い。隣の天王山には数多く案内板があるのとは対象的だ。
主稜線を進み淀川線五鉄塔に到着する。昔来た時は確か鉄塔の近くに
テントを張った。それは此処だったかもしれない。夜景がキレイだと
読んで来たが、展望はあるものの夜景は貧弱だったように覚えている。
ところがである。今回は主稜線から脇道に入ると、大きなパノラマが
待っていた。やはり関電の伐採基準が変わったのか、淀川線の下方は
広く刈られて草原となっている。淀川の先には梅田のビル群が見える。
一方の京都寄りには、先日歩いた男山(岩清水八幡宮)が住宅地の中
に島のように浮かんでいる。淀川線に沿って草原の尾根が下っており、
此のまま下って行きたい誘惑に駆られる。だが若山の頂上はまだ先だ。
主稜線に戻りしばらくで若山の頂上に到着する。尾根道が僅かに高く
なったかと思う所で頂上らしさも眺望も全く無い。1月4日の月曜日
だがハイカーは多い。皆さん頂上には無関心なのか足早に通過される。
続いて西京都線二八鉄塔に到着。此処も又広い範囲が伐採されている。
記憶ではこんなに眺望はなかった。鉄塔の下には杉材のベンチが設置
されている。間伐材ではなくて、風倒木を利用したものかと思われる。
必要にして十分である。前に置いてある丸太はテーブル代わりだろう。
残念ながら曇りがちで遠望は効かない。パラパラと小雨が落ちて来る。
此処では休まず進んで次の三叉路を、何も考えずに右手に入って行く。
すると高圧線が交差する珍しい場所に来た。谷下の鉄塔は高さを抑え
るために台形の変わった構造になっている。太閤道を歩きに来たのに
さながら鉄塔巡りのようだ。右手に見えているのはたぶんポンポン山。
此処で初めて三川合流点が見えた。此の鉄塔の名札は相当古くて読み
取れなかった。ところで此の先に道が見当たらない。三叉路で曲がり
間違っていたことに気づく。僅か数分間の距離だが元の縦走路に戻る。
自然木を使った美しい土留め階段。コンクリートや樹脂の擬似木では
出せない味がある。おそらく行政が委託した林業ボランティアの方々
の仕事だろうと思われる。ただ帰ってネットで調べても分らなかった。
さらに進むと林道の末端に出る。又もやの展望所、三川合流点が近い。
男山南西面の住宅街を見て気づいた。大阪ではあんな山の上まで新興
住宅街になっているんだと、高速道路から見て驚いた風景じゃないか。
それは田舎から初めて出てきた時の事である。都会的な風景に思えた
が、今となっては昭和の名残りでしかない。此の先はゴルフ場の横を
延々歩かねばならない。北摂の山を歩く上で避けられない展開である。
四つ辻という名前の三叉路。つまり大昔は四方に道があったのだけど
ゴルフ場が出来て、一方の道がなくなったのだろう。だからといって
三つ辻とは呼ばないんだろう。ふと摩耶山の三本鉄塔の事を思い出す。
フェンスに沿って太閤道が続く。新大阪ゴルフクラブという名前から
新幹線の新大阪駅開業よりも、ずっと前に作られたゴルフ場だと思う。
此の先は照葉樹や杉の植林帯となる。雨雲も垂れ込めてずいぶん暗い。
ずっと緩やかだった道が若山神社に下る手前で急峻になる。どんどん
下っていくと道標の感じが変わった。どうやら島本町に入ったようだ。
初めてハッキリ太閤道コースと記されている。高槻市とはどうも違う。
若山神社境内の案内板。観光振興的には高槻市のアピールが足りない
ように思える。だが調べてみると太閤道という名前に何の根拠も無い
そうだ。となると名前の由来を説明する案内板が一切無いのも頷ける。
家族は無理矢理でも豊臣秀吉が歩いたと話を作ったら良いのにと言う。
まあ以前歩いた唐櫃越しは、明智軍が進軍したという事になっている
が、これも根拠は薄いらしい。思いのほか立派な若山神社に感心する。
境内にある三川合流案内。これを見て家族が鉄道も三線合流だと言う。
なるほど新幹線、東海道本線、阪急京都線が天王山の麓で合流するか
のように見える。たまには良いことを言う。鉄分が入って来たのかも。
神社からは趣のある石段を下って今日の山歩きは終了。午後遅い時間
だが、まだ次々と初詣に来る人は多い。此の後で阪急の駅に至るまで
辻々に若山神社の看板があって、なるほど相当人気のある神社らしい。
島本町役場の前を通るこの道は、昨年6月にポンポン山からの帰りに
歩いている。という訳で阪急水無瀬駅までの様子は、概ね予想できる。
二度目に歩く道は、そんな理由で短く感じるのだろう。緊張が溶けた。
JR線を越える跨線橋から見る若山。全く期待していなかった割には
好展望の山であった。稜線に林立する高圧鉄塔がその証だ。まだ少し
時間があったので、水無瀬駅の近くにあるワークマンで買い物をする。