京都の宿泊施設の供給過多が続いている。ホテル代がこれほど水物と
思わなかった。インパウンド需要がないのに今年1月から6月の間に
市内に32軒もオープンしている。因みに大阪市22軒、神戸市5軒。
大阪はやや持ち直しているが、観光客頼りの京都はかなり低廉な値段
を提示する宿が多い。そんな訳で今日もお泊まりハイク。早朝に家を
出て阪急嵐山駅には7時半。3年前は既に観光客を数多く見た時間帯。
通勤や散歩の人しかいない渡月橋を渡り大覚寺を目指す。嵯峨嵐山駅
からは、北嵯峨高校の通学時間帯で賑やかだったが、大沢池の東側へ
回り込むと、とても長閑な農村風景が広がっていて少なからず驚いた。
北側に見える山とは言えない程に低い稜線が、今日歩く長尾山への道
がある所だろう。左手の生垣越しに大沢池が見える。昨年の3月から
有料化されて入場に300円要るようになった。残念だがスルーする。
田んぼの中の道を歩いて行くと、後宇多(ごうだ)天皇陵に突き当る。
正しくは蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)だそうで標識等がある。
近隣の方だろうか、参拝されて丁寧にお辞儀をして行く方もいらした。
背後の山も含めて陵墓なのだろう。東西に長くフェンスが続いている。
稜線には東側の峠から取りつくらしい。林道が続いている。地形図に
表記がなくハッキリしないが、長刀坂(なぎなたさか)というとの事。
嵯峨野から周山街道に抜けるには便利そうな道だけど、舗装されない
のは、陵墓や古墳の存在が関係あるのかも知れないな。竹の切り株に
家の近くでも良く見掛ける紫君子蘭(アガパンサス)が活けてあった。
峠らしき所に到着した。北側には水利施設や民家が迫っているようだ。
石段を上がった所には小広い平地がある。そう遠くない昔に御堂でも
あったよう。蒸し暑く一しきり汗をかいたので、冷水を飲んで小休止。
隅には丁寧に作られた杖が有った。「転ばぬ先の杖」ご自由にお使い
下さいとの札があるので、家族が軽い物を選んで一本借りる事にする。
何しろ山でもない平地で転んで骨折し、まだ金属を腕に入れている人。
尾根道を少し上ると歴史のありそうな地蔵仏が並ぶ。ようやく山歩き
の気分になるが、少し先ではフェンスが現れて、ホテルか個人宅かの
庭園の外縁を進む。尾根の南側は国有林だが、北側は私有地のようだ。
明るい雑木林を歩いて行くと、南西が抜けた所に出た。眼下に見える
のは嵐山辺りだろう。背後の山並みは3年前にトロッコ保津峡駅から
歩いた482高地、烏ヶ岳、嵐山、松尾山だろうが、同定はできない。
麓から見上げた時は、もっと鬱陶しい森林だろうと思っていたのだが、
落葉樹の多い雑木林は、明るく軽やかだった。登頂感など得られよう
とは思わないが、運動不足を解消する為に散策する分には十分な道だ。
ところで先程から気になる事が。ハンバーガーや薬用バブとかの商品
パッケージの文字を切り抜いてマーキングに貼ってある。家族にウケ
たのは瀬戸内レモン。でもマーキングを含めゴミはゴミ外してほしい。
長尾山の頂上に到着した。三等三角点がある。点名は嵯峨。南東側が
開けていて広沢池から京都市中心部への眺めが良い。倒木を利用した
私製ベンチがあるが、枝を残して脚にしてあるのが中々良いデザイン。
山頂では4組10名ほどの人に出会った。道が細い割には人気の山だ。
昼食休憩にしようと思ったが、まだまだ人が来そうなので先に進もう。
道標はないが、そのまま西に向えば良いだろう。緩やかに下って行く。
小さな地蔵堂がある四差路に着く、標識は無いが此処が京見峠だろう。
西側から歩いてきた人に「暑いですね。」と声を掛けられる。聞いて
みると、少し先にベンチのある平地があるそう。そこで昼食にしよう。
少し上がると尾根上にその平地があった。展望もまずまずだし休もう。
やはり根っこを脚代わりにしたベンチがある。丸木のままだけど安定
して座り心地も良い。日当たり良く完全に乾燥していて長く持ちそう。
昼食はトルティーヤに、缶詰のヒヨコ豆を詰めたブリトー風。家族が
チリソースを入れ過ぎたとかで、見た目よりずっと辛い。ポンポン山
の帰りに飲んだチェリオのドリンク。美味しかったので今日も買った。
食事休憩していた所より一段上がると、北側に愛宕山が綺麗に望める
所が有った。少し狭いがベンチもある。此処から見ると独立峰に見え
とても立派な山容じゃないか。彼我の高低差が実数以上に感じられる。
西へ進んで行くと石積みの外構に突き当る。恐らく嵯峨山上陵のはず。
南側に回ればすぐ正面にでる。ここまでは大覚寺の北側から階段道が
整備されている。此処で縦走を止めて下ってしまうのが一般的なよう。
嵯峨山上陵。その読み方は「さがのやまのえのみささぎ」なんだそう。
山上だが当然のことながら非常に清浄に保たれている。少し下に祭祀
の道具を納めた小屋もある。大覚寺までは20分程度で下れるようだ。
だが時刻は11時、もう少し歩きたい。陵墓の反対側に回ってみるが、
西へ進む道が見つからず、さっき東から来た道との合流点まで戻って
しまう。つまり陵墓を一周したということ。もう一度見直してみよう。
周回路の傍にある小さな池の奥に、か細い踏跡が続いていて進めそう。
ところで此の池。帰ってネットで調ると、血の池という別名があって、
心霊スポットらしい。所謂都市伝説だろうが、見ると不幸になるとか。
背の低いシダ藪の中を踏跡が続いている。最初の内は方向的に北側へ
向っているので不安になるが、下って行く内に尾根自体が西へ方向を
変える。藪を分ける事もないので、遠い昔には広い道だったのだろう。
杉の植林帯に入るとしばらくで林道の回転地に出た。中央の立木には
酵素風呂という古びた看板がある。また何かの冗談かと思ったら現役
の施設。砂風呂のようにオガクズの中に入って料金は2500円とか。
さて時刻は11時18分。時間を持て余してしまう。五山の送り火の
鳥居形がある曼荼羅山に往復できないか道を探そう。ネットには南側
の弁財天から取りついた記事が多いが、進入禁止の看板があるらしい。
なので北東の尾根から往復できないかと思う。3か所ほど山道の入口
を探ってみたが、何処もバリケードが有った。筍山だから入るなって
事のよう。もう諦めよう。林道を南下してJR嵯峨嵐山駅まで1時間。
家族はホテルの浴場で「どこを登って来たの?」て、声を掛けられた。
その人も神戸から毎週京都に泊まりに来て山歩きされてるとか。靴で
判ったのかな。こんな事は二度と無いと言っておられたそう。確かに。