高校の授業で漢文は好きだったが、古文は大嫌いだった。習った事は
ほとんど覚えていないけど、徒然草の百九段「高名の木登り」だけは
易しい話で理解できた。今も山を歩く時の心構えとして反芻している。
すなわち「目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。
あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候。」という言である。
四条烏丸駅に近い六角堂から歩き始める。六角形の塔屋が見事だった。
華道の池坊が管理する寺で、境内は無料で入れる。朝から大勢の人が
清掃されており気持ちよく拝観できる。但し池坊のビルに囲まれ狭い。
六角通りを東に向い新京極商店街に突き当り、三条大橋で河原に下る。
実は11月27日に三重県の横山に登った後に、家族が歩道で転倒し、
左腕を粉砕骨折してしまった。その日は伊勢市の病院で、応急処置を
して貰い帰宅するが、12月1日に手術し2週間ばかり入院していた。
まだ左腕は固定して三角巾で吊っているが、歩くのは大丈夫なようだ。
家に籠っていても気鬱だし、興味のある京都市街の散策をしてみよう。
賀茂大橋上流の飛び石を見て渡りだす家族。比叡山が薄っすら雪化粧。
下鴨神社の大鳥居をくぐり進んでいくと、ミニチュアの鳥居の車止め
が可愛らしい。両脇は高級な低層マンション。東京の人が別荘に買う
のかも。どうみても参道だけど公式サイトでは境内に含まれていない。
調べてみると50年間の定期借地権付で販売されているそうで、総戸
数は99戸。一番高い部屋の発売価格は128平米215百万だとか。
一方で神社が受け取る地代は、マンション全体で年8000万だそう。
境内に参拝客は疎らだけど、美顔祈願とか縁結びのご利益があるそう
で若い女性の姿が多い。境内を流れる小川に水御籤(300円)を浸
して浮き上がる御宣託を読まれている。神社は現世での幸せを願う所。
舞殿に掲げられた大絵馬。両方とも灰色でネズミ(子)だと思ったら、
左側は牛(丑)のようだ。家族に言われるまで気づかなかった。牛に
しては顔がスマート過ぎないかな。年の瀬を感じる景色ではあるけど。
神社なので境内は無料で散策できる。モミジの大木も多いので紅葉の
盛りに訪れるのが良いだろう。今出川通まで戻り東側へ向かって歩く。
京都大学のキャンパスを東に進む。各門前には弁当の屋台が出ていた。
北側に理学部を見るようになると、こんもりとした森が現れる。この
丘が吉田山の北端だろう。はたして山と呼べるのだろうか。ちょっと
がっかりする。てっきり吉田神社の石段が突上げてると想像していた。
一応は吉田神社参道との石碑と鳥居もあるが、案内図を見ると神社は
吉田山の南西中腹にあって、山頂にある訳ではなかった。相変わらず
事前にロクに調べずに来ている。その方が発見の楽しみがあるだろう。
鳥居をくぐると緩やかな傾斜でコンクリ階段が続いている。ちょうど
昼休み時で、京大の職員らしき人が一人散歩されていた。思っていた
より山らしい。後で調べると東西に400m、南北が800mの広さ。
道標に従って進むと東屋のある山頂に着いた。一般に吉田山の標高は
105mとされるが、それは南西にある三角点の値で、地理院地図に
よれば此処には121mの標高点が打たれている。静かな山頂である。
周囲は樹林に囲まれ展望はないかのようだったが、西側が少し抜けて
いて大文字山の火床が見えている。ところで吉田山に来たのは登頂が
目的ではない。東斜面にあるという銅板葺きの借家群を見る為だった。
山頂から僅かに東へ下れば、その住宅街に出会う。大正時代に建てら
れたそうだが、もっぱら京大の教官向けだったようで、借家としては
かなり大きい。現在の所有形態は不明だが8割程度は当時のままの姿。
一見すると古臭く陰気に見えるが、家一軒分の段差を設け造成されて
いるので、どの家からも大文字山を一望できるように設計されている。
総戸数は五十軒もあるだろうか。空家はないようだが不思議な静けさ。
東側には庭があり、大きな窓が設けられているので、さぞかし明るい
家であろう。何かの書籍でこの住宅群を知ったが、残念ながらその本
に掲載されていた印象的な写真のアングルは見つからずじまいだった。
直ぐ近くに紅葉の名所の真如堂があるので立ち寄って行こう。京都の
寺院というと何処も、拝観料を払わなければ見れないと思っていたが、
意外に無料で入場できる処もあるようだ。此処もそういった所の一つ。
もちろん紅葉は終わっているが、壮麗な伽藍を見学するだけでも十分
価値がある。本堂内も拝観できるようだが、無信心な者がどうかなと
遠慮した。境内にはモミジの木が多いので、季節にはさぞ奇麗だろう。
本堂の裏手に回ると落葉が美しかった。この一年で何度も来ているが、
京都の持っている観光のポテンシャルは、無限とも思えるほど大きい。
今まで京都嫌いを公称していたのだが、返上しなければならないかも。
真如堂の真西に立派な鳥居が見えたので、てっきり吉田神社かと思い
きや、宗忠神社という大きな神社だった。境内に道標があり、それに
従って尾根を越えると吉田神社の大元宮前に出た。思ったより小さい。
徒然草の作者である吉田兼好は、父がこの神社の神職であったという。
彼に言わせれば我々もあやしき下臈であろうけども、高名の木登りの
教えを今一度心に刻みたい。家族は山を下りた後、易き所で転倒した。
吉田神社からは鴨川を目指し近衛通を西へ歩く。てっきり解体された
と思っていた京都大学旧吉田寮が現存していたり、立ち寄った京大の
南部食堂のメニューが貧弱なのに驚いたりと、退屈しない一日だった。
今日のBGM
Earth, Wind & Fire - September (Lyrics)
十二月に九月のことを思い出す。でも今年は9月21日の記事はない。