利尻山へ登る朝、4時半には明るくなるが、朝食を作ったりしていて、
キャンプ場を出たのは5時40分を過ぎていた。日の長い時期だから
遅い出発だとは思っていなかったが、それが誤りだった事は後で知る。
我々が宿泊したファミリーキャンプ場から、40分の車道歩きで鴛泊
コースの登山口に至る。ところで利尻山はハムは二度目、家族は三度
目。前回登ったのは1990年5月で、ほとんど記憶は残っていない。
今回は女満別空港から斜里岳・羅臼岳・雄阿寒岳を目指そうとしたが、
交通不便で諦めた。昔に比べバスが減っている上に、コロナ禍で観光
路線は運休している。なので交通便利な利尻山を再訪することにした。
6時11分、利尻北麓野営場に到着。此処までの車道は一台の車にも
出会わない。キャンプ場も至って静かな様子なので、登山者が来るの
は、これからかなと思ってしまう。前回は此処に泊まって登っている。
甘露泉水(かんろせんすい)という水場。飲んでみると冷たくミネラ
ル分が豊富な味がする。この場所はわずかに記憶がある。今のように
は岩で囲まれていなかったように思う。とにかく積雪はまだなかった。
すぐ近くに3合目の標識がある。もうそんなに登ったかと糠喜びする
が、併記されている標高が270mでがっかりだ。ポン山から下って
来られた数名のハイカーに出会った。すごく朝早くから歩かれたのか。
4合目標識で標高390m。以降ずっと合目の示す意味に悩み続ける。
ちなみに富士山5合目の標高は2300m。利尻山5合目は610m
でしかなく、山頂の標高の三分の一程度。どうも気になって仕方ない。
6合目までは展望がなく樹林の中を歩く。植生に見るべきものもなく
淡々と高度を稼ぐだけの道。空には薄雲がかかっていて、朝日はさし
込んだり、陰ったりを繰り返している。この上で男性一人を追い抜く。
7時42分、第一展望台と呼ばれる6合目に到着する。右に鴛泊市街。
正面には利尻空港。その沖合には礼文島が見える。此処で小休止して
二度目の朝食を食べる。水分は二人で3リットル。やや少なかったか。
6合目の標高は760m。此処からハイマツ帯となる。まだ背が高く
て入ると周囲は見渡せない。前回はガスに覆われ視界が無かったので、
この付近の記憶は全くない。積雪が何処からだったかも覚えていない。
6合目の上にトイレがある。とは言え簡易トイレを利用するブースで、
中には穴の開いたイスがあるだけ。我々は100均の簡易トイレを持
参したが、正式なものは島内の各所で450円程度で販売されている。
7合目で標高895mと全体の半分を超える。実質5合目と思いたい。
また一人抜かす。摩耶山では人に追い抜かれてばかりなのに、なぜか
なと思う。背後の鴛泊市街を俯瞰するようになり、姫沼も見えている。
8時44分、第二展望台に到着。此処で下って来る人に出会う。上の
避難小屋で寝た人かもしれないが聞けなかった。新型コロナウィルス
の影響で、利尻山では人に挨拶も話しかける事も控える雰囲気が有る。
8時58分、長官山(8合目)に到着。標高1218mで一合の比高
差が一気に増えた。鴛泊コースに関して言えば、此処から見る利尻山
の姿が一番良い。因みに此処には一等三角点があるが、頂上は標高点。
少し進めば避難小屋が見えてきた。なぜだか香港のシャープピークを
思い出す。小屋の手前で二人の若者が下山してくる。彼らは身軽なの
で早朝から登った組だろう。緩やかな下りで鞍部の避難小屋に着いた。
小屋の前後で3組を抜くが、頂上から下って来る人も続くようになる。
後で調べると、島内の宿泊施設は4時台に送迎するらしく、5時には
登山口を出発するのが普通の様。我々はそれより1時間遅い事になる。
足の遅い我々が誰にも抜かれなかったのは、最後尾の出発だったから
に過ぎない。山頂まで一本道だし、ほぼ同時刻の出発となれば、体力
競争みたいになる。この記事も何人抜いたとか、嫌味な内容になった。
9時47分、9合目(標高1410m)到着。歩道の補修資材を運ぶ
ヘリポートなのかもしれないが、資材が放置されたりした荒れた広場。
以降頂上まで人工的な歩道が続いて、あまり良い印象は残っていない。
利尻山は軟弱な火山性の砂礫の山で、多くの登山者を迎える事により
登山道の浸食が著しい。人工的な補修は必要なことだが、9合目以降
は登らされている感が強くて、自分の意志で歩いている感じがしない。
プラスチック製のチューブに土を詰めて階段が作ってある。軽量化の
為に仕方ないのだろうが、周囲の自然との調和が図られていないのが
残念に思われる。左側の斜面は7月頃ならば、お花畑になる所らしい。
頂上の祠と、ローソク岩が見えてきた。山頂に憩う人影も見えている。
山頂へはいったん下るが、砂礫の細い鞍部で右の沓形側が切れていて
少々注意の要る所。鴛泊コースでは唯一の危険個所のように思われる。
はるか下に沓形の市街が見える。見えている尾根が沓形コースだろう。
下山はどちらにしようか。まだ決めていない。山頂に着いてから考え
る事にする。僅かに登り返して、狭い利尻山頂上に10時30分到着。
前回は雪の下に埋もれていたのか、この祠は初めて見る。山名板には
利尻山と記されている。山頂でグループ間の会話は無くて、和やかな
雰囲気は流れていない。観光登山の側面が強くて登頂の達成感もない。
祠のある北方より、南峰は2m高く1721mの標高がある。しかし
危険なので一般の通行は禁止されている。踏跡は続いているので仙法
志稜やローソク岩の登攀を終えた人が、下山の為に利用するのだろう。
頂上は狭くて10名程の登山者でも居心地は良くない。休日はどんな
だろう。とりあえず一隅に座る所を見つけて、キュウリの昼食にする。
遠くに納沙布岬を望む。写真の順番待ちなどしていると11時になる。
どう考えても上りと同じ鴛泊コースを下山するのは退屈。今まで観光
パンフのコースタイム程度に歩けているので、沓形コースを下山して、
沓形16時10分のバスに間に合うだろう。11時30分に合流地点。
砂礫の歩き難い道から岩が露出した下りが続く。観光パンフの地図は
ずっと水平路の様だが、左側に見えている登山道を横目に下って行く。
彼我の間に崖があり、それを迂回する為に下るよう。道幅はごく狭い。
トラバースが始まると、左足が激しい痛みを伴って攣った。10分程
休憩して治るが、次は右足が攣って又10分ばかり動けない。何とも
情けない。道は下り過ぎた分を取り返す如く岩壁の裾を斜上して行く。
沓形コースの最大難所と説明の「親不知子不知」が始まる。一見何で
も無いように見えるが、サラサラした砂の急斜面で足元が定まらない。
岩のほとんどが浮いていて、少しの衝撃でずり落ちる。慎重に進もう。
悪場は二か所あり、二番目の方が幅広くて長い。岩の大小に関わらず
大地に根付いている岩は一つもない。砂上に乗っているか、多少なり
とも埋まっているかの違い。踏跡も降雨に流されるのか判然としない。
渡り切った所で振り返る。緊張すると言う程ではないにしろ危険個所
には違いない。最大の危険は上部からの落石だろう。相当に脆い岩場
と思われ、いったん崩れたら岩雪崩といっだ現象も起こりうると思う。
トラバース部分が終わると左側が切れ落ちた個所に出る。写真よりも
急峻で、細い踏跡を外れると止まらない。風の強い時の通過には注意
が要るだろう。右側の樹木は枯れており手掛かりにはしない方が良い。
下ってきた砂の斜面を振返る。左上に見えるのが山頂。直下の岩壁の
脆い様子が此処からでも分かる。家族に写真なんか撮ってないで早く
下って来いと怒られる。灌木の中に道が続くようになってホッとする。
険しい仙法志稜が目を引く。鴛泊コースを上り下りしても、此の利尻
山の姿は間近に見れない。沓形コースを選んで良かったと思い始める。
因みに深田久弥は此の道を登っているが、景観については言及がない。
恐らくガスっていたのであろう。とすれば我々は今日の晴天に感謝し
なければならない。先ほど写真を撮っているハムに怒っていた家族が、
崖上で写真をしきりに撮っている。其処は背負子投げと言う難所だよ。
家族が見入っていた風景が此方。あの頂上から自分達が何処を下って
来たのか想像もつかない険しさ。この沓形コースを維持しているのは、
鴛泊コースを持つ利尻富士町に対する、利尻町の意地のようにも思う。
もし一島一町ならば、一般には鴛泊コースだけとなりそう。かつての
鬼脇(現利尻富士町)コースは上部の崩壊が著しいということで通行
禁止となっている。難所と言う名がついているが、特に難しくはない。
12時43分、三眺山に到着。山頂からコースタイムは1時間10分。
我々は2時間掛っていると此の時は思っていた。でも家に帰って写真
の時刻を確かめると1時間30分で、足が攣った休憩を加えると妥当。
家族は観光パンフのコースタイムが変と言っていたが、そうでもない。
我々が積算を誤っていたようで、16時10分のバスに間に合うのは
微妙になる。三眺山からはハイマツの繁る尾根道で悪場はないはずだ。
ハイマツと灌木の尾根は単調で退屈。基本的にずっと同じ景色が続く
のが要因。いや主因は我々の体力の無さだろう。無聊を紛らわす草花
もなく淡々と下って行くだけ。海面を渡ってきた風が雲を湧き起こす。
7合目上の狛犬の坂。犬も疲れて狛犬のように動かなくとなるという。
だが問題は此の下にある避難小屋からの下りだった。観光パンフには
五葉の坂と言う名がついているが、背の高い笹薮の道で西日がきつい。
分り易い写真を撮ってないが、頭の丸い岩が道を埋めている。それに
苔や泥がついていて滑る滑る。何度転んだだろう。歩き難い事この上
ない。我々にとって沓形コースの最大の難所は登山口までの此の区間。
15時9分、車道に飛び出す。50m程登り返すと見返台園地駐車場。
此処に飲料の自動販売機があると思っていたのだが、無くて落胆する。
避難小屋以降の苦しい下りで、持っていた水は既に飲み尽くしている。
沓形町内までは1時間30分の車道歩き。道幅に対して周囲の樹高が
高くて日陰を歩けたのは不幸中の幸い。親切な人が車に乗せて呉れな
いかと妄想を抱くが、実際に通ったのは軽自動車一台だけで霧散する。
沓形町の停留所に着いたのは16時36分で、10分発のバスに間に
合わなかった。山頂をもう少し早く出ていれば、足が攣ってなければ
と悔やまれる。隣のセイコーマートで2リットルの水を買い一気飲み。
17時45分の終バスまで一時間以上待つ。その間にセイコーマート
で、夕食の買い出しを済ませたりする。鴛泊へ戻るバスの車窓からは、
ずっと利尻岳が見えていた。少し雲が多くなったが明日も晴れてくれ。
ところで今まで二人共、この山の名を「利尻岳」だと思い込んでいた。
深田久弥著の日本百名山に、そう記されているからだ。現在の地形図
では利尻山となっている。しかし今日見た山容は正に「岳」であった。