摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

クマン岳(400m)古鷹山(394m)・・・広島県 江田島

昨夜は広島市の繁華街に近い宿に泊まった。出発近くになって値下り

したので急遽一泊追加。予約サイトのクーポンを利用して朝食付きで

一室4000円弱。昨夜のホテルと同系列、朝5時から朝食を頂ける。

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メニューは多少違い、正月らしくニシンと数の子の和え物などあった。

広島駅6時30分発の三原行き普通列車に乗車して、呉ポートピア駅

で下車。名前からてっきり競艇の場外舟券売場があると思っていたが、

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1998年に閉園の遊園地、呉ポートピアランドの為の駅だったよう。

ややこしい事に呉駅裏には、ボートピア呉という舟券売場が現存する。

さくら海運7時30分発フェリーで江田島切串港(吹越桟橋)に渡る。

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吹越桟橋から見る朝日。正月二日だが我々にとって令和二年初日の出。

今朝はやや冷え込んだのか、洋上に水蒸気が湧いている。田畑には霜

が降りていた。まず同じ切串港という名だが西沖桟橋まで20分歩く。

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広島の宇品港からのフェリーが着く西沖桟橋。ここがクマン岳の起点。

上方を指している道標に一瞬戸惑うが、右に回り込んで行くのだろう。

しばらく落ち着いた感じの住宅街を進む。島というより郊外の家並み。

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実際に宇品港までフェリーで30分なので、通勤する人も多いと思う。

果樹園を抜けて高台に進むと、別荘のような瀟洒な造りの家屋も散見

される。そういう意味でバンクーバーや香港の島嶼部に似ているかも。

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そんな事を考えながら道なりに歩いて行くと、舗装路の終点に着いた。

此処で衣服を整えよう。中間着のダウンベストを脱いだ。今日も無風

快晴で暖かくなるだろう。登山口の標識からは九十九折の急坂が続く。

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ところで江田島って、ずっと「えだじま」って発音していたんだけど、

本当は「えたじま」って言うんだそう。仁川に続いて数十年も間違え

ていた事に気づく。中学2年まで社会と国語は得意科目だったけどな。

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やがて灌木とシダ藪の斜面を斜上するようになって展望が開けてきた。

気になったので家に帰ってから、ユーチューブで大映映画の海軍兵学

校物語「あゝ江田島」を確認したが、「えだじま」と発音されていた。

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東方向の眺めが得られる。眼下に切串湾。対岸に小屋浦の集落を遠望。

もちろん正しいのは「えたじま」。広島の学校に行っていた甥っ子は

普通に「えたじま」って発音するし、道路標識も etajima という表記。

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切串港から約一時間でクマン岳の肩に到着。此処まで急傾斜の斜面を

歩いてきたが、此処からは穏やかな稜線を歩いて行く。江田島市役所

一押しハイキングコースのよう、道も良ければ道標も完備されている。

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北側に抜けた展望岩場があった。広島市街の眺望が良い。都市と島嶼

と穏やかな青い海の眺め。此処で座り込みバナナと紅茶で小休止する。

この先も幾つか展望岩場があって、東西の景色を見渡しながら進んだ。

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最後の急坂はやや東向きだったのか、朝日を真正面に見乍ら登りきる。

そこがクマン岳の頂上だった。尖峰ではなく円頂だが、人為的に四囲

が伐採されていた。素人仕事で伐木が、そのまま積み上げられている。

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しめ飾りが残された桜木につけられてるのは粋な所作。ここで初日を

迎えた人がいるのだろう。だが展望を得るために無暗に山の木を切る

事は全面的に賛成できない。どうしても不自然な景色になってしまう。

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周囲に伐木が積み上げられ落ち着かない。強いて切るなら北側だけで

良かったのではないか。東西の景色は途中の展望岩場の方がよく見え

たし、南側に至っては日差しがきつくて、夏季は日陰が欲しいはずだ。

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居心地の良くないクマン岳を後にし、稜線道を古鷹山へ向かう。前方

に見える尖峰がそれだろう。クマン岳は熊ヶ岳がなまった発音と云う。

実際に居た訳ではなく、熊が居ると流布して海賊を恐れさせたという。

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途中に帆立岩と名のついた岩があった。能美島に挟まれた湖水の様な

江田島湾。こんな所が幾つかあるので、敢て山頂に360度の展望を

作る必要はないだろう。行政も日浦山の現況を参考にして欲しいもの。

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鞍部には舗装された林道が通っていた。昨日の陀峯山もそうだったが

江田島では頂まで林道が通じた山が多い。砲台山、真道山、野登呂山

もそうだ。そういう意味で今日歩くコースは貴重な土を踏んで歩く道。

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鞍部に古鷹山まで1kmとの標識があった。以降は頻繁に里程を示す

標識が現われる。林道はあるけれども植林はされていない。落葉樹の

多い雑木林は明るくて気持ちよく歩ける。風も無くて実に穏やかな日。

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古鷹山頂上への最後の登りは、コンクリ階段と新しい鎖が施された道。

積み重なる大岩を越えた所が頂上。旭日旗が掲揚されている。航空自

衛隊のある山口県防府市右田ヶ岳に、日章旗があったのを思い出す。

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てっきり左側の標柱は山名標識かと思ったが、クマン岳を指した道標。

むしろ一段下った広場に、方位盤や案内板があって山頂らしい雰囲気

となっている。正月二日という事もあり、三々五々ハイカーが訪れる。

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最高所の岩場には上がって来ずに、広場で下られる方が多かったのは、

何度も登っておられるからだろうか。海軍兵学校に関する案内板の記

述よりも、左側の太陽光発電のパネルは何の為にあるのか気になった。

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眼下に現在、海上自衛隊第一術科学校幹部候補生学校となっている

海軍兵学校が見える。想像以上に広大な敷地であった。常には毎日

見学できるのだけど、12月21日から1月5日まで中止されている。

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北側には切串港からクマン岳。右側遠くには広島市街。左側は廿日市

だろうか。もう少し左手には宮島も見えているが、多くの島の一つで

印象は薄い。岩場に腰掛けて暖かい日差しを浴びながら紅茶だけ飲む。

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最初は南側に下るはずと道を探すが見つからない。後で分かるのだが

南へ進むと絶壁になっていた。なので一見すると切串港へ戻って仕舞

いそうな北向きの道に入る。緩やかな岩場を通るが鎖やロープもある。

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鞍部まで下って行くと奇妙な道標を見る。何れも古鷹山と指している。

此の山は双耳峰で、三角点は東峰にあるという事。点名「江田島」で

標高375.7mの二等三角点。先ほどの山頂は標高点で394mだ。

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特に三角点には興味はないが、古鷹山の岩壁が見えるかと思って東峰

にも登ってみた。しかし樹林が濃くてスッキリ見えない。鞍部に戻る

途中に撮ったのが上の写真。視線が低くすぎて岩壁の様子が分らない。

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鞍部から奥小路と記された道標に従い、南側へ下って行く。登山路が

所々でコンクリ舗装されているのは、学生が鍛錬の為に上り下りする

からだろう。当初調べた時は奥小路という地名が地図に無くて困った。

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どうも4町合併後は江田島町中央という無味な町名になっているよう。

古鷹山の岩峰が見えないかと、何度も振り返ってみるが、スッキリと

した所は無いまま下って行った。最後は竹林の道となり集落に下った。

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登山者専用駐車場って中々有るものではない。以前から江田島観光の

目玉として考えられているよう。観光協会では江田島トレイルマップ

も作っている。ただ我々は事前に入手できず帰りの小用港で発見した。

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駐車場から国道487号線を横断し、住宅街の中を下るとすぐ長大な

塀に突き当たる。内側が海上自衛隊第一術科学校で、後は塀に沿って

下って行くのみ。途中に旧将校倶楽部の建物が保存されていたりする。

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正門前まで来てみたが門扉は閉ざされている。門松が飾られているの

も気づかずにいた。門前に飲食店や商店もあるが、自衛隊御用達って

感じの店はない。唯一古くて大きなテーラーがあったのが名残だろう。

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その他には今どき珍しい「下宿有ります」という看板を諸所で見かけ

たぐらい。小用港まで1.5kmほど。無人販売所でミカン一袋買う

小ぶりな物が15個で値段は200円。甘くなく素朴な味わいだった。

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小用港に到着したのは13時28分。正月ダイヤで呉行きの高速船は

運行されておらず、14時47分のフェリーを待つ。待合のテレビで

箱根駅伝高校サッカーを見てすごす。売店酒類が高くて買えない。

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小用港の背後に穏やかな山容の古鷹山。二等三角点の有るピークから

小用に下る道もあったので、そちらを辿ればもう一本早いフェリーに

乗れたかな。まあ今からでも今日中に自宅に帰れるので良いんだけど。

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フェリーは20分で呉港に着く。途中、製鋼所や自衛隊の艦船それに

巨大タンカーと見所も多い。大和ミュージアム海上自衛隊呉資料館

を、急ぎ足で外観だけを見て回る。展示された潜水艦も大きかったが、

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ゆめタウン呉の食品広場の広大さに驚く。商品も豊富で羨ましい限り。

只総菜は正月用で高い物が多く、唯一安いと思ったお好み焼きを買う。

16時4分呉線広行きに乗車し、自宅に着いたのは23時過ぎとなる。

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