昨夜は広島駅北口のビジネスホテルに泊まった。この地区は再開発が
進み都会的。我々の宿も一見普通のビルだが、吹抜けの周りを部屋が
囲むというデザイン。予約サイトのクーポンを利用し一泊5000円。
もちろん二人分の料金で、香港並みに部屋は狭かったがリーズナブル。
朝5時から無料朝食バイキングをしっかり頂いて、JR広島駅に向う。
6時30分の三原行き普通列車に乗車して、7時18分に呉駅に到着。
正月なのでバスも特別ダイヤ。本数少なく7時55分広電バス鍋桟橋
行きに乗車。呉らしく車窓からは、自衛隊の艦艇や潜水艦も見えたが、
むしろその後の製鋼所や、昭和初期を思わせる住宅群が印象深かった。
鍋桟橋で呉市生活バスに乗り換えて、早瀬大橋バス停に8時54分着。
乗換え検索サイトも正月ダイヤに対応していないので、各交通機関の
ダイヤを調べるのに一苦労。特に呉市生活バスは直近まで不明だった。
バス停からは細い歩道を辿り橋上に出る。もっと苦労するかと思って
いたが橋自体それほど大きくない。昭和48年供用開始橋長623m。
正面のなだらかな丘が陀峯山(だぼうざん)。平凡な山容にがっかり。
早瀬大橋西詰から北に向かい、シーサイドプラザせいわという施設脇
から山に入る。改めて此処までの行程を説明すると、呉駅からバスで
音戸大橋を渡り倉橋島へ、更に徒歩で早瀬大橋を渡って江田島に居る。
道なりに果樹園を抜けると早瀬瀬戸から倉橋島、呉市街までが見えた。
呉に来るのは初めてだが無縁の地ではない。母方の祖父母が戦前一時
住んでいたという。祖父は富山県の漁村で育った後、海軍に志願した。
水兵から特務大尉(下士官)になったのが呉の時で、やっと暮らしが
少し楽になったと、祖母が一度だけ言ったのを覚えている。後に叔父
は呉の職業学校に入ったが、軍人でなければ良いと祖母は呟いていた。
そんな半世紀以上前の記憶を思い出しながら歩いて行く。途中からは
中国電力の巡視路のよう。この先は舗装路となり以降ずっと車道歩き。
そういう意味で山としての魅力はない。交通費も掛るし躊躇していた。
大柿町南大君からの車道と合流する。一般的な登山コースは、呉から
江田島の小用港に渡り、車かバスで大柿町まで来て往復するものだが、
早瀬大橋を渡りたくて倉橋島経由にした。その方がたぶん記憶に残る。
合流地点からは20分ほど車道を歩く。風も無くて穏やかな元旦の朝。
ほとんど舗装路歩きの行程だが、正月だし良いかなって思ってしまう。
軽トラが3台続けて下って来る。初日の出帰りにしてはちょっと遅い。
路傍に観光協会が設置した看板があった。120m先が天狗岩だそう。
CMのロケが行われた程の景勝地というので、そのCMも見てみたが、
CGが多用されているので魅力的では無かった。さて実際どうだろう。
疎林を抜けるとパッと広い平地に出た。いや平たい岩場だ。早瀬瀬戸
から倉橋島との間の海がまず目に入る。ここまでの車道でも樹幹越し
に見えていた海だが、遮るもののない大展望は爽快。良いんじゃない。
右手には頂部らしき高みがある。岩は花崗岩だと思うが風化の仕方が
六甲山のそれとは異なっている。丸いデコボコがたくさんあるのだが、
まだ真砂の塊というほどには風化してない。ただ柔らかそうな岩質だ。
天狗岩頂部からの早瀬瀬戸の眺め。瀬戸内の島という印象とは裏腹に
対岸の倉橋島には住宅が多い。漁村というよりも物流の中継点として
栄えたのか。実際に大橋の江田島側にはヤマト運輸の営業所があった。
天狗岩頂部から南側の眺望。特産の牡蠣(かき)の養殖筏が沢山並ぶ。
眺望を楽しんでいたら、車道から賑やかな声が聞こえて来た。車2台
を路肩に止めて、家族連れが9人ばかり来られた。我々はお暇しよう。
車道に戻り3分も進むと、追の浦渓谷・丈ノ内展望所なる看板がある。
観光案内では追の浦渓谷とだけ記してあったので、山の上なのに何故
渓谷なのかと思っていたが、渓谷を望む場所だってやっと気が付いた。
車道から僅かに入っただけで、深い谷を挟んで陀峯山の頂上が見えた。
早瀬大橋から見た丘陵のような山容とは異なり、険しい岩山の様相だ。
左手の三角形の山は、石切場となっているようで、半分に割れている。
追の浦渓谷は深くて、その全容は望むべくもない。ただ此処を登って
来るのは、相当難しいと思われるだけ。ネットで見ても遡行記録等は
容易には見当たらないが、岩質が柔らかすぎてピンが打てないのかも。
追の浦渓谷・丈ノ内展望所という名前だが観光案内には、常ヶ石崎を
見下ろす写真が多い。下に見えるのが長浜海水浴場。あそこからなら
岩尾根伝いに登って来れそうだが、岩がツルっとしてるのが気になる。
少し東寄りから、天狗岩と早瀬大橋を一望に出来る所がある。案内は
ないので追の浦渓谷の景色を見て、帰る人が多いんじゃないだろうか。
車道から歩いてすぐの所だけど、此方から見ると中々の岩峰に見える。
奇観を十分に楽しんだ後は、展望所から頂上に向かう。とは言っても
元の舗装路を歩いて行くだけ。切通しを通過する。一見すると両側共
コンクリートで固められている様に見えるが、自然の岩を削ってある。
大柿町大原からの車道と合流し頂上へ向かう。下りは此の合流点から
大原方面へ下山するつもり。途中二人のハイカーと出会ったぐらいで
車の通行は余りないのが救い。初日の出を目的の人はもう下った時刻。
緩やかな車道を上り詰めると陀峯山頂上の駐車場に着く。一番の高み
に電波塔がある。右に施錠された休憩舎らしきログハウスとコンポス
トイレがある。左上に陀峯と刻まれた山名碑が鎮座するが展望はない。
観光協会の案内では360度の展望という振れ込みだったが誇大広告。
電波塔施設を一周しないと四囲を見渡せない。樹木も邪魔をしている。
なんとか柿浦漁港から江南地区。その向こうに明日歩く予定の古鷹山。
頂上の展望所辺りには、ベンチも有ったが休憩する気になれなかった。
南側の展望の良さそうな岩場へ出てみる。車道から10m程入った所。
ここなら風にも吹かれず、暖かい日差しを浴びながら昼食を摂れそう。
今日の昼食は呉名物。メロンパン社製のメロンパン。実は広島駅北口
土産物の販売エリアで購入した。中はギッシリとカスタードクリーム
が詰まってずっしり重い。ただ外見もそうだが中身もメロン味でない。
それでも地元の名物を一つ食べられて満足。そういやハムの田舎でも
メロンパンと云えばこんな形だった。早瀬瀬戸を通って中型船が外海
に出て行く。バスから真っ白な砂の集積所を見たけど、その運搬かな。
昼食を終えたら下るとしよう。この先はどれぐらい掛るのか分らない。
車道を淡々と歩いて大柿町大原には50分ほどで着いた。島内にバス
も走っているが中町港へは15時の一本。まだ2時間あるので歩こう。
中町港までは国道487号線を8kmほど。2時間何もない所でバス
を待つより歩く方がまし。コンビニ以外スーパーも飲食店も全て休み。
ところで江田島にいるはずなのに、交通標識が指してるのは何でかな。
現在の江田島は全体が江田島市(えたじまし)だが、平成16年まで
江田島町、能美町、沖美町、大柿町に分かれていた。その地域名の事。
どう見ても一つの島なのに江田島と能美島があるそうでもう分んない。
陀峯山の頂上からは3時間近くかかって、15時に中町港に到着した。
家族は昨夜の寝不足や靴擦れで疲れきっている。舗装路は時間以上に
疲労をもたらす。高速船は15時42分発で、宇品港16時12分着。
江田島は大きな爪を持ったザリガニの様な形をしている。その爪で
囲まれているのが江田島湾。湖水の様な海面を高速船は静かに進む。
僅か30分の航海、宇品港着岸までぐっすり家族は眠り込んでいた。
広島電鉄の広島港駅はいわゆるテルミニ(終着駅)。広島駅直通と
紙屋町経由の2方向の電車が数分おきに出る。紙屋町経由に乗車し
本通で下車。サンモール地下の蓬莱に天津丼と中華丼を食べに行く。