摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

ガベノ城からゴロゴロ岳を越え芦有ゲートに下る

12月28日の朝は、空は晴れているが北風強く小雪が舞っていた。

窓から吹き込むスキマ風が恐ろしく冷たい。こんな日に暖房のない

家にいると凍えてしまう。天気予報は、晴れだというので山に行こう。

また苦楽園二番町の坂道を登っていく。このまま西宮北高校から

柏堂(かやんどう)町から、剣谷(けんだに)町へ登って行けばよい。

この二つの町名は読めない。剣谷は「つるぎたに」だと思っていた。

邸宅が並ぶ、正に「陽のあたる坂道」を登ってきた。大して下調べせ

ずに来たので、中々登山口が見つけられずウロウロし、結局、剣谷

町最上部の豪邸下までやってきた。角に青い看板がちらりと見える。

電柱に小さな私製道標が括られている。西宮市役所はゴロゴロ岳

付近は、ハイキング道と管理する気は全くないようだ。この山域で

公設道標を一度も見ていない。豪邸の高級犬に吠えられ乍ら進む。

細いが良く踏まれた道を少し登れば、展望岩がある。強い北風が

吹いているが、南東斜面だけに陽射しがあれば、我慢できる寒さ。

この岩に国有林の標識が貼られていた。私有地ではなかったのか。

西宮市が登山道整備しないのは、この一帯が私有地かと思っ

ていたが、それだけの理由ではないようだ。剣谷という名に反し

スッキリとした尾根が続いてる。道は真砂化した花崗岩が覆う。

中腹にはお約束のシダ藪が現れるが、それほど長く続かない。

昭文社の地図には、実線が引かれているが、里の裏山といった

感じの素朴な道だ。尾根の南側では、風も弱く陽射しが暖かい。

北側に先日歩いた観音山が見える。此処からだと、かろうじて

山に見えるだろうか。歩いた印象では、尾根上の小突起だった。

暗い雲が北から流れてくる。天気予報は一日晴れだったのにな。

ガベノ城という変わった名前について、少しは検索してみたが、

どうも確定した由来はないようだ。城跡という訳でもなく、ピーク

名なのかも確かでないらしい。相変わらず明るい尾根道が続く。

道が北側に回り込むと、強烈な風が吹きつけ、ぐっと体感温度

が下がる。ハム的には麓から見える岩場か禿げた斜面が城の

ように見えるので、「画餅の城」と呼ばれたのではないかと思う。

歩いていて思いついたのだが、帰って再検索すると、そういう

説もあるようだ。少なくともピークを、指すものではないと思う。

道の脇には今朝降った小雪が残っている。今年の初雪である。

道脇に石組みが現れる。階段状なので治山目的と思われる。

「伝説の石垣」という木札が下がっているが、この様な石垣は

摩耶山中にも幾つもある。路傍にあって注目されただけだろう。

登山道は北から南へ斜面を巻いて行く。道が西へ曲がる所で

スイッチバックするように東側に上がる道がある。ちょうど正午。

登ってみると、展望の良い小ピークに出た。周囲は伐採されて、

まずまずの展望が得られる。ここにガベノ城と書かれた木札が

下がっている。北西は樹林で風当たりは弱い。昼食休憩しよう。

甲山や北山貯水池の眺めも良いが、目に付くのは宝塚の景色。

高層マンションが林立している。最後に宝塚に行ったのは確か

30年以上前。東六甲の山に登ることもなく変化を知らなかった。

家族が小豆を炊いたので、昼ごはんは簡単な「ぜんざい」だ。

お餅は腹持ちが良く山ごはん向き。この日も丸餅4個で家に

帰るまで満腹感があった。ただ山コンロ用で上手く焼けない。

昼食をしている間に、男性ハイカーが1人だけ登ってこられた。

この日、山中で出会った唯一の人。世間は年末で忙しいのだ

ろう。小ピークから再び尾根を登る。ヤマツツジが咲いていた。

しばらくで展望の良い岩場に到着。寒く無ければ此処で休憩

するほうが楽しそうだ。昼食の間は陰りがちだった空も、再び

青くなった。少しだけ気温も上ったかも。遠くまで良く見える。

展望岩以降は、さして見るべきものもなく、傾斜が緩くなると

観音山からの道と合流する。ゴロゴロ岳頂上に寄る気はない

が道が通るので仕方ない。此処からは芦屋市で道標がある。

柿谷道を下って行く。右手に分岐を探しながら下る。中継所の

下で一本見かけたが心許ない。さらに下って上の写真の所に、

右手に進む比較的しっかりした踏跡がある。此処で良いだろう。

出だしこそ藪っぽかったが、直ぐに広い道となる。但し道幅に

見合ったほど、人が歩かなくなって久しいのだろう。土が踏ま

れておらずやや柔らかい。廃道になりつつある道という感じだ。

この一帯は阪神大震災前までは、芦屋市野外活動センターの

敷地だった所。20年以上経った今も、種々の遺構が残ってる。

何本もの歩道が残っているようだが、何も考えずに道なりに

下って行く。一部で分かり難くい所もあるが、迷うことはない。

沢に橋が掛っていて渡る。これは最近作られたもののようだ。

橋のたもとには、芦屋市の設置した公設道標がある。とすると

此処から先は一般道なのかな。但し、我々が下ってきた方向に

は道標は向いてない。ゴロゴロ岳も柿谷道も南側を指している。

所々に広場があったり、キャンプ場跡らしき所もあったり、木が

生えている所もあるが、20年位で元の樹林には戻らないよう。

六甲らしい笹藪の道を下って行く。右の谷には治山ダムが続く。

対岸の稜線に奥池の邸宅を仰ぎ見る。己が下層階級である

ことを思い知る。変な中流意識を打ち砕くには効果的な道だ。

芦有道路の芦屋ゲートが見えてきた。道標には芦有ゲートと

標記したものもあって、登山者の間では芦有ゲートといえば

此処を指す。だが有馬にも料金所があるので正確ではない。



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