摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

龍馬山(348m)용마산・・・ソウル市・・・2015年11月3日

今回の旅行の最終日。仁川・午後8時発ピーチ航空で帰国する。

十分に登山出来る時間はあるが、ソウル近郊の山は、ほとんど

歩いている。いろいろ探した結果、地下鉄から歩ける山があった。

起点となる駅には、これから歩く山の名がついている。地下鉄

5号線・峨嵯山(アチャサン)駅。2番出口から出て歩くらしいが、

その先が分からない。とにかく北側に向かえば山に突き当たる。

途中、食堂で朝食を摂ったりしながら、適当に山側へ歩いて行くと、

小学校の隣に、唐突に登山口らしき階段があった。道標や案内図

もあるが、登山のためではなく、公園の案内なので要領を得ない。

しばらく階段を上がると、道標があって左右にウッドデッキが伸び

ている。相変わらず道標は、公園の案内ばかり。山頂を示す物は

ない。まあ高みに登って行けば良いのだが、少しは変化が欲しい。

それで左右に伸びるウッドデッキを、西の龍馬山側に進んでみる。

韓国で最近流行りのドゥルレギル。いわゆる散策路だが、山腹に

作られている。各地で建設されて、登山中に横切ることがよくある。

確かに気持ちの良い道だが、楽しいかと言うとそれほどでもない。

200mほど西に回り込んだ。この移動は、後で後悔することになる。

麓から山頂に向かう道は何本もあるようだ。次の階段道から、

山頂に上ることにする。同じような階段道だったが、先の道が

メインルートで、どうも中腹には展望の良い東屋があったよう。

木製階段が途切れると、幅広い尾根に幾筋も道が出来ている。

相当な数の人が毎日歩くのだろう。一番西よりの岩の道を行く。

登るにつれ露出した岩場が広くなる。傾斜は緩くフリクション

も効く。気持ち良く歩いていける。もう少しで山頂の一角かな。

唐突に展望台が現れた。双眼鏡やブランコベンチが設置されて

いる。毎朝登山する人達の憩いの広場かな。まだ出来て新しい。

此の場所は山頂ではなく、まだ登山道は緩やかに上って行く。

よほど多くの人が歩くのか、山頂稜線の道は筵で覆われていた。

案内の看板によると、この辺りは高句麗の保塁跡らしい。百済

新羅と、漢江を挟んで対峙したという。韓国にも山城跡は多いが

保塁と呼ばれるのは珍しい、当時の高句麗では、平地の居城と

山城が組み合わせて作られることが多く、保塁は戦闘機能しか

無かったのかなと、碌に歴史も知らぬのに勝手な想像してみる。

管理事務所から、峨嵯山頂までの距離しか分からない案内板。

もう直ぐ山頂のはずなのだが、道はどちらかと言うと下って行く。

復元した石垣の奥に、広々とした公園があり、説名盤等も

設置されている。山名碑はないが、此処が山頂なんだろう。

龍馬山へは階段道を、いったん鞍部まで下る。平日なのに

行き交うハイカーは数多い。休日はどんなに混むのだろう。

鞍部からは、やっぱり階段道を登り返す。整備されすぎて

山というより、都市公園を歩いている様な気分になってきた。

龍馬山頂上には、立派な山名碑があって、それなりに山らしい。

登ってきた人は、なぜか三角形のモニュメントの下でポーズする。

いわゆるパワースポットなのかも知れない。家族も真似してみる。

下りに掛ると龍馬山の西側は、今までにない傾斜。展望が広がる。

歩いて来た峨嵯山の稜線が見える。元よりなだらかだったろうが

築城の為に平削されたとも思える。西暦500年よりもっと前の事。

少し下ると、平屋建てのトレーニング施設があった。内部には

アスレチックジム並のトレーニング器具が所狭しと並んでいる。

屋外の運動器具は、いつも見かけるが屋内というのは初めて。

山腹に岩盤が露出し展望が良いのは、いかにも韓国の山らしい。

地下鉄の駅を目指して下るのだが、分り易い案内図も無く、ただ

現れる分岐の度に、人通りの多そうな道を、選んでは下って行く。

下山した所は住宅街。道標はないので、登山口とは分かり難い。

後は適当に下って行き、表通りを北に進むと、龍馬山駅に出合う。