摩耶山の麓から

Mt.Maya Without a Map

比良 ヘク谷遡行

7月最後の金曜日。休みをもらって、比良のヘク谷へ行くことにした。

18切符を使って往復3000円もかかる。迷ったが7月に入ってから、

摩耶山では雨が降っておらず沢は楽しめない。堅田からバスに乗る。

比良の沢へは、25年ぶり。フリー乗降区間とかで、目印の下坂下の

バス停標識が無くなっていた。大きな谷があるから、たぶん此処かな。

朝食を済ませてから安曇川を渡って入渓する。水量は十分ありそうだ。

ヘク谷は数回遡行したことがある。特に大きな沢という記憶はないが、

摩耶山の小沢に慣れてしまって、その水量やスケールの違いに驚く。

最初は大きな岩が積み重なった沢筋が続く、それでも十分な迫力だ。

「関西周辺の谷」の遡行図を持ってきた。今から34年前の記録だ。

2条の滝。右の2段8mをシャワークライミング。ホールドは多くて、

楽に登れる。財布を尻ポケットに入れたままだったのを忘れていた。

樋状の小滝。中段に深い釜がある。それを嫌って、家族は右の岩を

登るが、ハムは腰まで浸かって、流心を登って行った。ここに限らず、

苔の多い谷で、スタンスに使われている所だけ、岩が露出している。

全体に傾斜は緩く、岩は比較的しっかりしている。なるべく流れに

近い所を登って行く。楽しい。入場料3000円の大人の遊園地か。

時々、雪解け水に磨かれたツルツルの岩があって、気が抜けない。

10米の斜瀑。右側の岩で容易に登れそうだが、流心を登って行く。

最上部で左側に抜けようとするが難しく、流水を全身に浴びて右へ

移る。視界は白い流水だけ、水勢に流されそうになるのを我慢する。

2条12米の滝。「関西周辺の谷」では、拡大図が添えられている。

自分の記憶では渇水時にも、高度感のあるシャワークライミングと、

ヘク谷の象徴的な滝だったのだが、2条の滝が一本になっている。

右の滝の落ち口に岩が詰まって、流れが変わってしまったようだ。

水流が無ければ、ホールド多くて登りやすい。高度感も感じずに

通過してしまった。今回の一番楽しみにしていた滝なので残念だ。

2段15米の滝。小休止していると、雷鳴が轟き土砂降りとなった。

此処は流れの右側を登るが、見た目よりも傾斜は緩い。雨水が、

流れているが問題ないだろう。一応、7m補助ザイルを使用する。

初めて此の谷へ来た時は、一人だったので、空身で登って、結構

緊張した記憶があったが、ザイルをつけているせいか普通に登る。

最上部で落口に向かって、バンドを斜上する辺りで高度感が出る。

家族は怖かったと言って登って来た。ザイルを張り気味にしてい

たので、下部でホールドの多い所を選べず、直線的に登って来た

ようだ。確保者が反省すべき所。岩と思ってカエルを掴んだとも・・。

15米の滝を抜け続く小滝を越すと、大きなゴーロの平流になる。

ほっとする風景。周囲の自然林も好ましい。ヘク谷は下・上流に

植林帯があるため、あまり美しい谷ではないが、こんな所もある。

18米の滝。逆層気味で我々には登れそうにない。右手を小さく

巻き上がる。岩屑の詰まるルンゼを登り、途中から落口に向かい

斜上する。遡行図から見るより、あっけなく巻き上がってしまった。

18米の滝を越して、もう終わりかと思っていたら、こんな2段の

小滝が迎えてくれた。上段の小滝は、シャワーを浴びて抜ける。

雨は断続的に降っている。時折日も差す。どうか晴れてほしい。

造林公社の植林小屋跡のある二俣を過ぎると、一気に水量が減じる。

植林帯で一か所だけ、右から入る支流があるが、それ以外はすべて、

右俣を選んで遡行して行く。さっきの土砂降りでか薄いガスがかかる。

本谷を左に分ける二俣。細かいホールドの小滝を登り、右の支流に

入る。大きな岩が積み重なるⅤ字谷やら、涸れた6米滝など現れる。

数回歩いているはずなのに、この辺りはほとんど記憶に残ってない。

やがて平流になり、下生えの無い林の中を行くようになる。ヘク谷は

藪漕ぎが無くて、最後に山上の池に辿り着く。比良の他の沢に比べ

初心者向きの好ゲレンデだ。平日の今日も先行者が一組いたようだ。

また日が差すようになった。それは良いのだが、暑くて疲れて来た。

沢の中では、一度もヘルメットを暑いと思わなかったくらいなのに。

遠いという記憶は無いのだが、小女郎池になかなか辿り着かない。

草原状の源流域に、左手の斜面を登る細い踏み跡があったので登る。

ようやく小女郎池の一端に到着した。木陰には涼やかな風が吹いてる。

思ったよりも水量もあり大きな池だ。この辺りも記憶には残っていない。

林を抜けると蓬莱山が見えた。その昔、夏は沢登り、冬は山スキーにと、

何度も訪れた場所なのに、覚えている事が余りに少ないな。あの頃は、

体力があったので、源流域の長さも気にならず、駆け抜けていたのかも。